昨年の9月末に脳動脈瘤破裂で救急車で運ばれ緊急手術となり、1ヶ月救急病院に入院。その後5ヶ月リハビリ病院に入院して、4月に退院してきた母のその後です。


母の一時帰宅の時から、父親の顔を見たくなくて実家に帰っていない私ですが、1週間に数回は母に電話していて。


なんだかすっかり母が倒れる前と同じような感覚で、「米がなくなったから送って。野菜は何がある?ネギと三つ葉あるんだ?鉢植えしたいから根っこ付けたまま送って」と頼みました。(5月中旬の出来事)


「今週は田植え忙しくて送れないから来週送る」


そう母に言われて、「じゃあ、準備できたら連絡して」と電話を切りました。


10日ほど経過し、荷物どうなったかな?と思っていたら母から電話がかかってきました。


「今ね一生懸命お米を詰めているんだけどね。。。。お母さんこんな体になっちゃったから、もうお米を送ってあげられない」と母が電話口で突然泣き出したのです。



私が米を送って貰うときは↑のように焼酎のデカイペットボトルに米を入れてもらい、野菜と一緒に送ってもらっています。


ペットボトルに米を入れる作業は、片手でペットボトルを押さえて、ジョウゴを使って米をこぼさないようにいれるのですが。両手を使っても難易度が高く、米をこぼしたり、ペットボトルを倒したりします。


うちの父はそういう細かい作業が大嫌いなのでやってくれないし、半身麻痺の母は一生懸命ペットボトルに米を入れる作業をしたのでしょう。


米をこぼしたり、ペットボトルを倒したりして。今までできていたことができなくなった悲しさ、不甲斐なさを感じたんだと思います。


日常生活でも、今まではできていたことができなくなったこと。誰かのサポートがないと生活ができないことに不甲斐なさを感じていることでしょう。


そして。右側の脳に障害があるため、感情をコントロールできなくなっているため、今回電話で泣いてしまったんだと思います。


米と野菜はとりあえず妹が作業して送ってくれることにはなりましたが、妹からは「今までみたいに気軽にオカンに頼まないで」と怒られました。


そして。「リハビリ病院にいたときは毎日脳トレと体を動かすリハビリをしていたけれど、家に帰ってからなかなか家族もリハビリに付き合ってあげられないし、自分でも進んでやりたがらないから、退院した時より悪くなっている。退院したからって安心してないで、1~2ヶ月に1回は帰ってオカンの様子を見て、家のことやリハビリ手伝って」と言われました。


クズオヤジの顔を見たくないため帰っていませんでしたけど。


家族は母のお風呂の面倒も見てあげなくてはいけないため、前より大変になっているのは確かなんですよね。


「家にいるときもぼ~としていて、前より物忘れも多くなってきたから、脳トレ用に線をつないだりするプリント渡しているけど、自発的にやっていない」とのこと。


私もしばらく土日はスケジュールが埋まって帰れないため、仕事が終わってから数日に1回電話して、今日は何をしたか?ちゃんと歩いてお散歩したか?プリントをちゃんとやったか?確認の電話をするようになりました。


母いわく「プリントをやると全然できなくてイライラして欝になる」とのことでしたが、「プリントやらないとボケが進むからちゃんとやってよ~!ねぇちゃんがさらに宿題帳かったから、ちゃんとやってよね」と毎回プレッシャーを与えてやってもらうようにしています。


オカンへの宿題帳

今週末、数ヶ月ぶりに実家に帰ってきます。クズオヤジが問題行動を起こさないよう祈るのみです。