ツケマイせんせいの哲学する麻雀 | ツケマイせんせいの哲学する麻雀

ツケマイせんせいの哲学する麻雀

戦術とかコラム的なもの。あとボートレースとか色々。


メンバーとは(前編)

メンバーとは(後編)



上記2つの記事を書いて、なんというか久々に反響を頂きましたね。アクセス数もブログ開設以来歴代2位を記録しました(ちなみに1位は福地さんのブログで紹介されたとき)。


自分としても長い間温めてたテーマで、ずっと書きたいと思っていた反面、各方面から批判もあるだろうなあと躊躇もしていました。


でも今は書いてみてやっぱり良かったなあと思います。


と、ここで本題に入る前にメンバーとは(後編)で気になるコメントを頂いたので紹介します。



『記事のみが一人歩きし、Twitter等でここのリンクが四方に拡散されています。
曲解されているのも見受けられ、良くない発言も見受けられます。
知ってほしいのは重々わかりますが、もう少し伝えたい事を記事で主張しないと、余計な軋轢を生んでしまっているかもしれません。』



今までコメントはコメントで返してきました。


でもこのコメントに対しての返事が、ブログの根幹に関わる大事なことなので、良い機会だと思って記事においてお返事させていただきます。



ところで自分は、自分の評判というものをあまりサーチしていません。


これはなぜかというと、自分の見ていないところで言われていることを聞いても大概自分にとってプラスに働かないと思うからです。それは陰口なので。


その人にとっての真摯な意見なら、それが批判であれば特に、直接僕に言ってくるはずです。そうしないのはその意見がさほど重要でないことの表れだと思います。


むしろ色んな人の評判を気にすることで創作意欲を失うことの方が恐いです。


ま、ツイッターで「ツケマイ」とエゴサくらいはしますけどね。


なのでブログコメとツイッターを少しチェックするくらいで丁度いいんじゃないかなと。



メンバーとはの記事に対する反響は、こうすればいいんじゃないの?というものがほとんどでした。


「多少加減しても勝てるくらい強くなれよ」

「AとかBじゃなくて、Aのように好かれるBを目指せよ」

参考:zeroさんのブログMAX BETより メンバー考



その通りなんですよね。


記事の構成はAとBの対立を書いて後、僕自身はBだけどAの意見も十分わかる、これは価値観の問題なんだで終わってしまっていて、肝心のじゃどうすべきかという結論部分を書いていませんでした。


前編の記事を読んで後編の尻すぼみ感にがっかりした人もいたのではないでしょうか?



実はこれあえて狙ってそうしました。



絶対後出しだろうって思いました?ほんとに違うんですよw意図的に結論を書かなかったんです。


当初結論に持っていく内容も考えました。


例えば、あくまでAさんに納得してもらえるようにBの立場の論拠を書く。現実的にやっていけるようなメンバーとしての立ち振る舞いを書く(もっと腕を磨くとか、お店の方針がBのところで働くとか)。メンバーとしての理想、Bだけど接客で好かれるBを目指すなど。


2年もメンバーやって他の雀荘関係者に相談していたりしたら当然こういったことを頭に浮かべるようになります。


でもあえて書きませんでした。


理由の1つは、どれも納得がいかなかったからです。繰り返しますが僕はBの立場。その立場で出す結論を全国のAさんが読んで納得いくでしょうか。


僕みたいなやつはできるだけ規制のないお店を探して、そこでできるだけ接客をしっかりして嫌われないように努めればいい。それはその通りかもしれませんが、例えば基本的にAの立場の点5雀荘の方が読んで何か得るものがあるでしょうか。それはそうだよね、うちでは全然通用しないけど。それで終わっちゃいますよね。


ブログを読むことは手間であり労力です。自分と違う立場の人間が自分とは関係のないことは言っている。ただそれだけのことだともし感じさせてしまったら、その労力に見合ったものを提供できなかったということです。それはブログとして負けではないかと。


そんなもん自由に書けよと思われる方もいるかも知れませんが、自由にやるからこそこだわっていきたいんですよね。


これがもし小論文なら完全に赤点です。ですがこれはブログ、自由に書いていいんです。結論がなくたっていいんです。


だからあえて結論を書かないで消化不良な形で文を締めました。きっと読んだ直後はもやもやした感想が残ったでしょう。そして次にはメンバーはどうあるべきかという自分の考えが頭に浮かんだはずです。


記事はは全ての麻雀関係者に向けて書きました。フリーでお客さんとして打ってる方、ゲストとして色んなお店をまわっている麻雀プロ、雀荘のオーナーや店長のように売り上げを第一に気にする立場の方、そして全国のメンバーへ。


それぞれの立場の方がそれぞれの立場からメンバーとはこうあるべきだ、そう考えてくれたなら僕の狙い通り、勝ちということですね。(・∀・)ニヤニヤ


まさにそのためにああいう書き方をしました。なので記事に対する賛否は実はどうでもいいんですよ。真意を汲み取れなくて「ツケマイあいつ何言ってんだ何にもわかってねえな、メンバーはこういうものだろ…」、と意見を発信してくれたのなら、それも実は僕にとっては嬉しいことなんですね。あれを読んで何とも思いませんでしたってのが、最も悲しかったりします(´□`。)


これがコメントに対する返事です。


伝えたいことはそれを書かないことに集約されています。あなたのコメント内容こそ最も僕の欲しかったものです。まさかそれを記事にすることになるとは思いませんでしたが。こういうのメタ記事とでもいうのでしょうか。



ついでに


以前から僕のブログを読んでくれている方、また講義を受けてくれた方はなんとなく納得頂けたかと思います。


僕の書く物、発信するものって実はこうすべきだ!っていう結論がメチャクチャ少ないんですよ。戦術は大抵こういうのってどうかな?という提案で始まり、こうすべきだと断定することはあまりありません。講義の内容など特に強者でも意見がバラバラなケースばかりを取り上げて、一応僕は~という考えでこうしたけどね、というふわふわしたものでしたwなぜなら自分自身正しいかわからないからです。


でもそれが自分のウリだと思っています。


ブログで麻雀のことを書こうと思ったときに考えました。自分はどういったことを書こう。読む人が誰も見たことの無いような内容を書きたい。そう思いました。


戦術についてはすでに僕が列挙するまでもなく大家が麻雀界にはいっぱいいます。そういう人達に同じ分野で太刀打ちできるわけありません。ならば、自分だけの武器で勝負しよう。それは哲学だ。


哲学とは真理に至ろうとする論理的思考の道筋です。体系的な学問ではありません。その人その人が考えたそれが哲学なのです。


僕はそれを麻雀に組み込みたいなと思いました。読んだ人を考えさせてステップアップさせる記事を書くことを目的にしました。


自分は誰も言ってこなかったであろうことをここに発信する。一応理屈はつける。だけどそれはそのまますぐ使えるということではなくて、読んだ各人が発展させたり、咀嚼して自分の物にして初めて役に立つものでなくてはならない。使えるかどうか、正しいかどうかは各々判断してね。そのようなスタンスでこれまで書いてきたつもりです。実際どうでしたか。


そんなわけでこのブログのタイトルはツケマイせんせいの哲学する麻雀なのです。