実は、今まで上げた記事は、今年の上旬から少しずつ書き溜めたもので、タイムリーに上げたものはひとつしかない。(12月21日の記事である。)
私の書いたブログについて、多くの方が〈いいね〉してくださったり、フォローしてくださっているようで、とても驚いている。
今回はそれに対する思いを残しておこうと、今回したためることにした。
(そのため、長男に対する気持ちなどが、前向きだったり後ろ向きだったりする記事を後に載せるかもしれないが、それは2021年12月以前に書かれたためである。)
さて、私はフォローしてくださってる方や〈いいね〉くださった方のブログを拝見させていただいている。
一般的な育児ブログの方もいるのだが、とにかく多いのが、「子育てをハッピーに」とか、「イライラしちゃうママへ」とか、「ブログで収入」「簡単に収入」「家の査定」とか。
で、ながーい記事を読み進めると、ちょいちょいリンクが貼ってあって、最後には
満員御礼セミナー!
に、辿り着く。
あと、『〇〇ですよね?』『〇〇しませんか?』がやったらと多い。
文字の大きさがチョロチョロ変わり、目がチカチカする配色。
参考書みたいな、重要なことを訴えかけたいのだろうが、やたら多すぎて…(いらない文章を削ったらもっと伝わるだろうに…)
まあ、わかっている。一般人のブログ風ビジネスブログということだろう。
しかし、このような業者さんがわざわざいいねなりフォローなりしていただいて、想像だが、チラシ配りのようなものなのだろうと思う。
私はチラシ配りには肯定する。
なんなら、ポスティングされたチラシも、じっくり目を通してからミカンの皮を包むなど、大いに活用している。
これからもぜひ、〈いいね〉してほしい。
さて、本題①に入る。
上記業者と想像されるブログの中に、
「子どものやる気を起こさせるひとこと」
みたいな記事があった。
内容を要約すると、「〇〇」と言わず「△△」と言えば、子どもは進んで□□した、というものだ。
なるほど、こんな言葉で、定型発達児は仕舞がつくのか、と感心したのだが。
ただの定型文で親の都合よく動くロボットのような定型発達児を育てるより、自分の想像を超える反応をいつもしてくれる発達障害児を育てる方が、人生って遥かに面白い、と私は思う。
高校生の時に、トリイ・ヘイデンさんの「シーラという子」のシリーズを読み漁った。
児童心理学者のトリイ先生が、環境や家族からの虐待、障害などによって問題を抱えた子どもたちに向き合い、彼らと心を通わせ合うという、実際の経験を元にした物語なのだが、私が発達障害を知るきっかけとなったものだ。
高校生の時分は、荒れ狂う子どもたちと対峙し、時に傷ついたり残酷な現実を前に心を痛めたりするトリイ先生が、それでも投げ出すことなく子どもたちにぶつかっていく描写に、「なぜこんな辛い仕事を続けるのだろう」と疑問に感じたものだった。
しかし、実際に自閉症の長男を育てていると、問題のある子どもに寄り添い、テキストも模範解答もない子育てこそ、他に替えがたい素晴らしい経験なのかもしれないと、考えるようになった。
長くなったが、本題②
先日の記事がアメトピに選ばれたそうだ。
《療育手帳の申請のために発達検査を受けて1ヶ月、ちょうどピタリと1ヶ月が経過した。
その日を待っていたように、福祉事務所から1通の封書が届いた。》
などというクドい表現をした私に非があるのだが、
「療育手帳の受け取りは1、2ヶ月かかる」と言われた気がするので、受け取りはもっと時間がかかるものと思っていたので、「やっと」とはちっとも思っていない。
療育手帳は、当事者はよくご存知だと思うが、知的障害者の障害者手帳である。
障害者手帳は、高橋の手帳のような1年の予定を書き込んだりという代物、ではない。
(とんでもない蛇足で恐縮たが、私は毎年、高橋のNo.611のファミリー手帳を愛用している。4月始まり日曜始まりで、家族4人の予定が書き込めて、見開きで1ヶ月のスケジュールがわかる。サイズ感も大きすぎず小さすぎず、非ビジネス利用では適当で良いと思う)