てんし様を祀ってください、
てんし様のみこと(御言葉)に従ってください、
この事が出来れば他に何も分からなくても峠が越せるのです、
御民は命を捨てて生命に生きてください
【日月神示 夜明けの巻】
ご訪問頂きありがとうございます。
先に夫が記事をあげていますので、そちらから宜しくお願い致します。
さて、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを言いこめられたと聞いて、一緒に集まった。
そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、
「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。
イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
これがいちばん大切な、第一のいましめである。
第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。
パリサイ人たちが集まっていたとき、イエスは彼らにお尋ねになった、
「あなたがたはキリストをどう思うか。だれの子なのか」。彼らは「ダビデの子です」と答えた。
イエスは言われた、「それではどうして、ダビデが御霊に感じてキリストを主と呼んでいるのか。
すなわち『主はわが主に仰せになった、あなたの敵をあなたの足もとに置くときまでは、わたしの右に座していなさい』。
このように、ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるなら、キリストはどうしてダビデの子であろうか」。
イエスにひと言でも答えうる者は、なかったし、その日からもはや、進んでイエスに質問する者も、いなくなった。
イエス様は、神の子であるから、正真正銘、神であるのです。
神から神が生まれるのは、当然なのです。
人は、神に似せて造られた、創造物です。
人が神になることは、絶対にないのです。
それは、パリサイ人でも分かることです。
ですから、パリサイ人が、イエス様を人の子と思っているなら、絶対に神の子と思うはずがないのです。
パリサイ人の偽善の教えには騙されないように気をつけることです。
イエス様との会話を自作自演するのでは、イエス様を信じている証明とは言えません。
偽証なのです。
預言者を受け入れなければ、聖書をいくら知っていても、神の力は知らないのです。
律法学者やパリサイ人は、預言者を受けいれてこなかったのです。
モーセも、パリサイ人のかたくなさに、律法を変えていた事実があるのです。
パリサイ人のパウロは、思いが違うのです。
偽善にイエス様を拝んでいるのです。
ですから、神の戒めが永遠に分からないのです。
どうにかして、イエス様を殺すことがパリサイ人の手法です。
イエス様を殺す福音を作って騙すことで、いとも簡単にキリスト教を騙して世界に広まっているのです。
「心を尽くし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」
「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」
この二つのいましめに、律法全体と預言者とがかかるほど、重要ないましめです。
預言者と律法は、セットです。
預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までなのです。
ヨハネはエリヤですから、
キリストが預言を成就するという辻褄が合うのです。
つまり、律法で愛すべき神は、キリストだけとなるのです。
誰を神とするか、重要なところです。
イエス様もはっきりと、わたしを愛する者は、わたしの父に愛されると仰っています。
ですから、わたしたちが愛するのは、イエス様です。
ただ神にのみ仕え、神を拝するとは、ただイエス様に仕え、イエス様を拝することです。
ですから、イエス様を受け入れなければ、律法を守っているとは言えないのです。
イエス様を十字架に架けて殺した福音は、イエス様を受け入れていないのです。
あなた様に平安がありますように。
イエス様の御国がきますように。
最後までお読み頂きありがとうございました。





