九の花咲くのは二三(ふみ)の山、二二(ふじ)は神山神住む所、やがて世界の真中になるのです、
御神示通りにすれば、神の言う事を聞けば神が守るのです、
人民の目からは危ない様に見えるのですが、やがては結構になるのです、
疑うから途中からガラリと変るのです、
せっかく縁があって来た人民ですから神はお陰をやりたくてうづうづしているのです、
手を出せばすぐに受け取れるのに何故手を出さないのですか、
大きな器を持って来ないのですか、
神示を聞いていると身魂が太り身魂が磨けるのです、
【日月神示 青葉の巻】
天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。
また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。
高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。
また天国は、海におろして、あらゆる種類の魚を囲みいれる網のようなものである。
それがいっぱいになると岸に引き上げ、そしてすわって、良いのを器に入れ、悪いのを外へ捨てるのである。
世の終りにも、そのとおりになるであろう。すなわち、御使たちがきて、義人のうちから悪人をえり分け、
そして炉の火に投げこむであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
あなたがたは、これらのことが皆わかったか」。彼らは「わかりました」と答えた。
そこで、イエスは彼らに言われた、「それだから、天国のことを学んだ学者は、新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人のようなものである」。
イエスはこれらのたとえを語り終えてから、そこを立ち去られた。
宝をあげたくて、うづうづしているのは、神様の方です。
素晴らしい宝をみんなで分かち合いたいと思われているのです。
ですが、あげたくてもあげれない天地の法則があるのです。
残念ながら、宝を受け取る側のわたしたちが宝に気づいていないのです。
価値の分からない人に、宝をあげてもお互いの喜びとならないのです。
天国も神様も喜びなのです。
すごい宝を、喜ばない人にあげても喜びが無いのです。
お互いに喜ぶところに、神の国があるのです。
天国の宝がまことの宝です。
天国の宝、天国の真珠は、イエス様です。
天国の宝は隠してあるのです。
求めれば与えられ、捜せば見出し、門を叩く人は開けてもられるのです。
神様は、求めて来る人、探す人、門を叩く人を探しているのです。
何もしない人を求めているのではないのです。
神様と人と、お互いに心が一致すれば、与えられるのです。
ですから、隠してあるのですが、すでに現れているのです。
世が造られる前からイエス様はあるのです。
本当は現れているのですが、ほとんどの人が気づいていないのです。
イエス様が王と分かったら、誰でもイエス様の所に来るのです。
みんなが分かった時では、遅い場合もあります。
今は隠されているので、見つけ甲斐もあり、喜びとなるのです。
もしも、隠れていなかったら、見ても、それが当たり前となって、喜びや見つける楽しみはないのです。
隠れているものを見つけたいと熱心に願えば、与えられるのです。
み使い達も、イエス様の価値を分かる者を選り分けるのです。
天国のことを学ぶことは、イエス様の価値を学び、イエス様をもっともっと大きいものにすることです。
あなた様に平安がありますように。
イエス様の御国がきますように。
最後までお読み頂きありがとうございました。




