日の大神様は日の御働き、

月の大神様は月の御働き、

日の大神様も世の末となって来て御神力が薄くなっているのです、

日の大神様も二つ、三つ、

これからは自分一人の力では何事も成就しないのです、

心得てください、

神示で知らせただけで得心して改心出来れば大難は小難となるのです、

やらなければならないのです、

戦は囲碁、将棋くらいの戦で収まるのです、

人民の心次第や行い次第で空まで変わるのです、

この道理は良く心得えて、神の申すことが分からなくても、無理と思う事も貫いてください、

これが誠なのです

【日月神示 青葉の巻】

 

 

その後イエスはガリラヤを巡回しておられた、

ユダヤ人達が自分を殺そうとしていたので、ユダヤを巡回しようとはされなかった、

ちょうどユダヤ人の仮庵の祭りが近づいていた、

そこでイエスの兄弟達がイエスに言った「あなたがしておられる奇跡を弟子達にも見せるためにここを去りユダヤに行ってはいかがですか、自分を公けに現わそうと思っている人で隠れて仕事をするものはありません、あなたがこれらのことをするからには、自分をはっきりと世に現わしなさい」こう言ったのは、兄弟達もイエスを信じていなかったからである、

そこでイエスは兄弟達に言われた「わたしの時はまだ来ていない、しかし、あなた方の時はいつも備わっている、世はあなた方を憎み得ないがわたしを憎んでいる、わたしが世の行いの悪いことを証言しているからである、あなた方こそ祭りに行きなさい、わたしは仮庵の祭りには行かない、わたしの時はまだ満ちていないから」

彼らにこう言ってイエスはガリラヤに滞在しておられた、しかし、兄弟達が祭りに行った後でイエスも人目につかないようにひそかに行かれた
ユダヤ人らは祭りの時に「あの人はどこにいるのか」と言ってイエスを捜していた、群衆の中に、イエスについていろいろと噂が立った、ある人々は「イエスはよい人だ」と言い、他の人々は「イエスは群衆を惑わしている」と言った、しかしユダヤ人の指導者らを恐れて、イエスのことを公然と口にする者はいなかった

 

 

ヨハネによる福音書 第7章①反芻

 

この世の祭りは、全部的外れです。

 

イエス様を殺そうとするのも、

 

イエス様が殺されようとするのに、ユダヤにわざわざ行くように指示するのも、

 

的外れです。

 

イエス様を愛していないから、イエス様が見えないのです。

 

ご自分を現わすのではなく、父を現わされていることが見えないのです。

 

世界中、どこでも誰でも、イエス様をまつってないから、イエス様が現れないのです。

 

イエス様は、唯一父をまつっておられるのです。

 

ですが、わたしたちが父をまつると、それもまた的外れです。

 

権威ある者に祈らなければならないからです。

 

父は、み心にかなう愛する御子であるイエス様に権威を譲られたのです。

 

わたしたちが敬うようになるためです。

 

だから、いつでもどこでもまつりの主はイエス様です。

 

本当の仮庵の祭りは、イエス様の時が満ちて来た時です。

 

イエス様の臨まれる時がその時です。

 

神の国が来るのを出産に例えると、毎日臨月です。

 

太陽を拝む人は多くてもあまり月を拝む人はいません。

 

昼は、月は見えないからと推測されます。

 

わたしたちは、昼のうち、日のあるうち、まだ神様のあわれみのあるうちに、イエス様の栄光を現わさなければなりません。

 

神様から悔い改めよと言われるうちならまだ昼です。

 

言われなくなったら、夜です、月にイエス様を例えると、イエス様が現れる時です。

 

今、見えないイエス様をお祀りするのです。

 

イエス様は、父の栄光を現わされます。

 

わたしたちは、イエス様の栄光を現わさなければなりません。

 

イエス様を拝んで、イエス様を見なければなりません。

 

今は、イエス様を来るのを待つ準備期間です。

 

わたしたちの時は、イエス様を迎える期間です。

 

産みの苦しみは、誰にでもあります。

 

イエス様を先にお迎えして、苦難を乗り越えるのですが、早ければ早いほど、大難が小難になるのです。

 

大きな戦争が、囲碁や将棋程度の戦いで済むのです。

 

イエス様を今お迎えしましょう。

 

イエス様を信じている、イエス様を愛している、イエス様を救い主として信じていると公言しましょう。

 

共感する人がいたら、共に喜びです。

 

苦の花が咲く時が、密月となりますように。

 

あなた様に平安がありますように。

 

イエス様の御国が来ますように。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。