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何でも神に供えてから食べると身魂が太るのです/

食べ物(饌)にひもじくないように身も魂も磨いておいてください/

人を助けておけば、その人を神は助けるのです/

どこにいても救う臣民は救ってやるのです/

神の心が分かった臣民から助ける御用にかかってください、助ける御用とは清めのご用であります/

清めるとは和すことです/

清めることはまつらうことです/

神にまつらうとは神にまつわりつくことです、神に従うことなのです


マタイによる福音書 第14
領主ヘロデはイエスの噂を聞いて家来に言った「あれはバプテスマのヨハネだ、死人の中からよみがえったのだ、それであのような力が彼のうちに働いているのだ」というのは、ヘロデは先に自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことでヨハネを捕えて縛り、獄に入れていた、すなわちヨハネはヘロデに「その女を娶るのはよろしくない」と言ったからである、そこでヘロデはヨハネを殺そうと思ったが群衆を恐れた、群衆がヨハネを預言者と認めていたからである
ヘロデの誕生日の祝いにヘロデヤの娘がその席上で舞を舞いヘロデを喜ばせたので彼女の願うものは何でも与えようと彼は誓って約束までした、すると彼女は母にそそのかされて「バプテスマのヨハネの首を盆に載せて、ここに持って来ていただきとうございます」と言った、ヘロデ王は困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、ヨハネの首を与えるように命じ、人を派遣して、獄中でヨハネの首を切らせた、その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡され、少女はそれを母の所に持って行った、それからヨハネの弟子達が来て死体を引き取って葬った、そしてイエスの所に行って報告した、イエスはこのことを聞くと舟に乗ってそこを去り、自分一人で寂しい所へ行かれた、しかし群衆はそれと聞いて、町々から徒歩であとを追って来た
イエスは舟から上がって、大ぜいの群衆をご覧になり、彼らを深くあわれんで、そのうちの病人達をお癒しになった、夕方になったので、弟子達がイエスの元に来て言った「ここは寂しい所でもあり、もう時も遅くなりました、群衆を解散させ、めいめいで食物を買いに村々へ行かせてください」するとイエスは言われた「彼らが出かけて行くには及ばない、あなた方の手で食物をやりなさい」弟子達は言った「わたし達はここにパン五つと魚二匹しか持っていません」イエスは言われた「それをここに持って来なさい」そして群衆に命じて、草の上に座らせて五つのパンと二匹の魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子達に渡された、弟子達はそれを群衆に与えた、みんなの者は食べて満腹した、パン屑の残りを集めると十二の籠にいっぱいになった、食べた者は、女と子供とを除いて、おおよそ五千人であった、それからすぐにイエスは群衆を解散させておられる間にしいて弟子たちを舟に乗り込ませて向こう岸へ先におやりになった、そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登られた、夕方になってもただ一人でそこにおられた、ところが舟は、もうすでに陸から数丁も離れており、逆風が吹いていたために波に悩まされていた
イエスは夜明けの四時頃に海の上を歩いて彼らの方へ行かれた、弟子達は、イエスが海の上を歩いておられるのを見て幽霊だと言っておじ惑い恐怖のあまり叫び声をあげた、しかしイエスはすぐに彼らに声をかけて「しっかりするのだ、わたしである、恐れることはない」と言われた、するとペテロが答えて言った「主よあなたでしたか、ではわたしに命じて水の上を渡って身元に行かせてください」イエスは「おいでなさい」と言われたのでペテロは舟から降り、水の上を歩いてイエスの所へ行った、しかし風を見て恐ろしくなり、そして溺れかけたので彼は叫んで「主よ、お助けください」と言った、イエスはすぐに手を伸ばしてペテロをつかまえて言われた「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」二人が舟に乗り込むと、風は止んだしまった、舟の中にいた者達はイエスを拝して「本当にあなたは神の子です」と言った、それから彼らは海を渡ってゲネサレの地に着いた、するとその土地の人々はイエスと知って、その附近全体に人を派遣してイエスの所に病人をみな連れて来させた、そして彼らにイエスの上着のふさにでも触らせてやっていただきたいとお願いした、そして触った者は皆癒された

 

マタイによる福音書 第14章の反芻

 

高慢なら、誰の言葉も聞く耳はありません。

 

はじめから、神の言葉を聞きません。

 

神の言葉、預言の言葉も聞かないので、ヨハネかイエス様かも区別がつきません。

 

ヨハネは、イエス様の道を整えるお役、イエス様は、ヨハネにも優るお方です。

 

神様を恐れるのか、人を恐れるのか、いつも私たちは問われています。

 

人を恐れ、体裁を気にするのは、世のわずらいです。

 

体裁も、裁きです。

 

この世の王は、自分の体裁が、ヨハネの命より大事です。

 

高慢な証拠です。

 

自分の立場を上げるのは、人を見下げることになります。自分で、自分も他人も裁いています。

 

イエス様の言葉を信じるなら、イエス様を恐れ、自分のかわりにイエス様に裁いてもらいます。

 

それが、イエス様に従うことです。

 

イエス様に従い、人に従えば、裁くことはありません。

 

神の国の王の王であるイエス様は、謙虚です。

 

自分の立場を上げるのではなく、イエス様の立場をお上げするのが、わたしたち、人民のすることです。

 

そうすれば、神の国が成就するからです。何事も、イエス様第一です。

 

もう二度と、イエス様を一人にさせるような、寂しい思いをさせてはなりません。

 

イエス様を信じる人達が、イエス様の言葉を伝えなければなりません。

 

何事もイエス様でないと成就しません。

 

神の国のパンは、イエス様の教えです。

 

神の国の魚は、聖霊です。

 

教えも、霊も、イエス様からでなくてはなりません。

 

イエス様に命じられた者、自分からイエス様のために奉仕する者たちは、最後まで人々にも仕える落ちぶれた者、低い者です。

 

イエス様の言葉をかみ砕いて、人々に伝えますが、人々は自分で悟らないので、鈍くなり、この世の食べ物で満足してしまいます。

 

それでも、最後まで残った者が、十二人でも、神の国は成就するのです。

 

それだけの人数でも、イエス様の言葉が生きているならいいのです。

 

イエス様を信じる者も、世の煩いには気をつけなければなりません。

 

不信仰を招くからです。

 

イエス様を一心に信じること。

 

今は、信仰を鍛える期間です。同時に、イエス様の手伝いをして、人を助ける手伝いをすること。

 

わたしたちが、どんな時も、イエス様を拝めば、

 

どこにいても、助ける御用をする人は、助けてくださいます。