マタイによる福音書 

         第9章③
 

ひとりの会堂司が来てイエスを拝して言った「わたしの娘がただ今死にました、しかしおいでになって手をその上においてやって下さい、そうしたら、娘は生き返るでしょう」そこで、イエスが立って彼について行かれると、弟子達も一緒に行った、するとその時十二年間も長血を患っている女が近寄って来て、イエスの後ろからみ衣のふさに触った、み衣に触りさえすれば直していただけるだろうと心の中で思っていたからである、イエスは振り向いて、この女を見て言われた「娘よしっかりしなさい、あなたの信仰があなたを救ったのです」するとこの女はその時に癒された、それからイエスは会堂司の家に着き、笛吹きどもや騒いでいる群衆を見て言われた、「あちらへ行っていなさい、少女は死んだのではない。眠っているだけである」すると人々はイエスをあざ笑った、しかし群衆を外へ出した後でイエスは内に入って少女の手をお取りになると少女は起きあがった、そしてその噂がこの地方全体に広まった、そこから進んで行かれると、ふたりの盲人が「ダビデの子よ、わたし達をあわれんで下さい」と叫びながら、イエスに付いて来た、そしてイエスが家に入られると、盲人達がみ元に来たので、彼らに「わたしにそれができると信じるか」と言われた、彼らは言った「主よ、信じます」そこでイエスは彼らの目に触って言われた「あなた方の信仰通りにあなた方の身になるように」すると彼らの目が開かれた、イエスは彼らを厳しく戒めて言われた「誰にも知れないように気をつけなさい」しかし、彼らは出て行って、その地方全体にイエスのことを言い広めた、彼らが出て行くと人々は悪霊に憑かれたおしをイエスの所に連れて来た、すると悪霊は追い出されておしが物を言うようになった、群衆は驚いて「このようなことがイスラエルの中で見られたことは、これまで一度もなかった」と言った、しかし、パリサイ人達は言った「彼は、悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ」
イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆる患いをお癒しになった、また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをご覧になって彼らを深くあわれまれた、そして弟子達に言われた「収穫は多いが、働き人が少ない、だから収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」

 

マタイによる福音書 第9章③の反芻

 

会堂司や長血の女のように、

 

イエス様を信じ、イエス様の言葉を信じ、心で叶うと思うことが、信仰です。

 

たとえ、イエス様をダビデの子と言っても、イエス様ならできると心でおもうなら、その通りになります。

 

イエス様ならできると思うことが信仰です。

 

イエス様を信じないで、生きている者を葬ることは、死人のすることです。

 

死人は、死人の復活の仕方を知りません。

 

だから、死人は死人を葬ることしかできません。

 

だから、パウロの福音を信じている教会の教えは、死人の教えです。

 

イエス様を信じている者は、生きている者です。

 

心に、イエス様の言葉が生きているからです。

 

たとえ、イエス様をダビデの子と言っても、イエス様は何でもできると信じれば、その通りになります。

 

たとえ、人がキリストだと分かっていなくても、へりくだって、わたしたちをあわれんでくださり、わたしたちのしてほしいことをかなえて下さるのがイエス様です。

 

イエス様は、常にへりくだり、父の御わざを成すため、み心を行われるので、自分が何者か自ら名乗られません。

 

イエス様がキリストだとは、御わざでお示しになります。

 

イエス様がキリストだと分かった者は、その喜びのために、黙っていれないのです。

 

悪霊もそのこと(イエス様がキリスト)を知っているので、言う通りにするのです。

 

ただ、霊での改心は難しいので、イエス様についていくことはできません。

 

イエス様は、キリストであるのに、パリサイ人は、イエス様が悪霊どものかしらによって悪霊を追い出していると言い、聖霊を汚したのです。

 

罪の自覚がなく、悔い改める気持ちがなければ、イエス様が悪く見えるのです。

 

それは、イエス様より偉いと思っているからです。

 

パリサイ人の律法学者パウロの回心は、改心ではないのです。

 

イエス様に従っているかのように見せかけて、従っていないのです。

 

改心しないので、ついていくことができないのです。

 

あわれみより、いけにえの教えが、パウロの福音です。

 

イエス様を十字架にかけて、人のいけにえとした狡猾な嘘であり、罠です。

 

人々を、広い門におびき寄せて一網打尽に、罠にかけるのです。

 

イエス様は、御国の福音を宣べ伝えられたのです。

 

それは、イエス様の御言です。

 

パリサイ派のパウロの言うことではありません。

 

イエス様を見失い、イエス様のおられるところから迷い出たわたしたちは、何もできない者です。弱り果てて、倒れている者です。

そのような変わり果てたわたしたちを、深く深くあわれんでくださっているから、主直々に、天の世界から、死の世界に救いに来て下さったのです。

 

罪深いわたし達に、あわれみでもう一度生きるチャンスを与えて下さったのです。

 

天からの働き人は、イエス様ただ一人です。

 

だから、働き人の手助けが、今、必要です。

 

それが、イエス様の望まれることです。