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マタイによる福音書 第26章(前半)の反芻

 

「イエス様を愛してワイン契約を結ぶ」

 

「あなた方が知っている通り、二日の後には過越の祭りになるが、人の子は十字架につけられるために引き渡される」

 

過越の祭りは、門口に子羊の血を塗っている家は、災難が臨まないというものです。

イエス様とワイン契約するその人(お宮)は災いが臨まないのです。

わたし達は、イエス様の言葉を聞いて二千年の後、この世始まって二度とない苦労があります。

その時には、イエス様をお祭りし、イエス様とワイン契約を結んでいることです。

 

ですが、わたし達人類は一度イエス様を十字架につけるために引き渡した、殺したのです。

それを、悔い改めなければなりません。

いまでも、イエス様を受け入れていなければ、この世始まってない峠は越せないのです。

 

また、十字架で救われるという偽の教えは、悔い改めていない教えです。

盲人が盲人を手引きしたら、二人とも穴に落ちます。

イエス様からよく話を聞くことです。

 

イエス様がベタニヤでらい病人シモンの家におられた時、一人の女が高価な香油が入れてある石膏の壺をもって来てイエス様に近寄り、食事の席についておられたイエス様の頭に香油を注ぎかけました。

弟子達はこれを見て憤って、「なんのためにこんな無駄遣いをするのか、それを高く売って貧しい人達に施すことが出来たのに」と言いました。

それを聞き、イエス様は「なぜ女を困らせるのか、わたしによい事をしてくれたのだ、貧しい人たちはいつもあなた方と一緒にいるがわたしはいつも一緒にいるわけではない、この女がわたしの身体にこの香油を注いだのはわたしの葬りの用意をするためである、よく聞きなさい、全世界のどこででもこの福音が宣べ伝えられる所ではこの女のした事も記念といて語られるであろう」

 

マリヤは、高価な香油をイエス様に注ぎました。生ける父も、心にかなう愛する御子イエス様に油を注がれました。父のみ心と同じことをマリヤも行いました。

まずイエス様に全身全霊を尽くして愛を注ぐこと、イエス様に自分のすべてを注ぐことです。

イエス様は、死んで生き返られました。

命がけで、わたし達を救うために天から来られました。

わたし達も、イエス様のために死ぬのです。

口だけでなく、心と行いをもって示さなければなりません。

三年、五年、七年と続けて身魂も養われます。

イエス様について従い続けなければなりません。

 

でも、途中で裏切る者も出るとの示しがあります。イエス様もすべてご存じです。

十二弟子の一人、イスカリオテのユダという者が祭司長の所に行って、銀貨三十枚をもらったのです。神様を売ってはなりません。

わたし達は、神社でも宗教でも、商売する所になってしまいました。わたしもお札など買っていたのです。

神様を軽くして、軽く見ていたのは、わたしなのです。悔い改めます。

 

イエス様を裏切る者は、生まれてこない方が彼のために良かった、それほどのことです。

裏切ることをイエス様に指摘されたユダは、悔い改めなかったのです。

 

神様をおそれることです。

畏れ多いと、へりくだって仕え続けること。

魂まで殺せるのは、神様です。

わたし達は、イエス様をおそれ慎み、従うことです。

悔い改めて罪深いと、日々お詫びです。

 

わたしは誰よりも罪人ですが、誰よりもイエス様を愛しています。