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ルカによる福音書 第二十章の反芻(前半)

 

イエス様は、すべての悪人にも善人にも、答えて欲しいと願われています。

「ヨハネのバプテスマは天からであったか、人からであったか」

天から派遣された者を受け入れる人は、イエス様を受け入れる人です。

ヨハネは主の道をまっすぐにした人です。

すべての地、エルサレム、ゼブルン、ナフタリ、ガリラヤ、エリコ、ゲラサ、アジア、日本も含め、邦人や異邦人も、主の御前には分け隔てはなくなり、

人からの地位や名誉、権力、資格などはすべて平らにされ、すべての権威を任されたイエス様に従う基盤は整えられました。すべての人は福音を聞かされ、イエス様を知らない人はいないのです。

イエス様によって、派遣された弟子、派遣された人々によって、世界の隅々まで、イエス様の光が届けられています。

唯一の王、イエス様が命をかけて天から来られ、本来神様を敬うという元の地の姿に返されようと、日夜努められました。今でも、生きて神様のみ心のまま働いておられるのです。

天は、見えません。神の国はあそこにあるとも言えません。

その人の心にあるのです。

ヨハネのバプテスマが、天から来たか知らなければ、いつまでも心に天は来ないでしょう。

天と交わるには、罪の告白(水のバプテスマ)をしなければなりません。

水のバプテスマは、見ずのバプテスマ、見ないで信じるバプテスマです。

見ても見ずの人は、盲人であり、

知っても知らない(交わらない)、

聞いても聞かない(行わない)のです。

真面目に答える人には、イエス様は、真面目に答えてくださいます(神様は鏡)

 

イエス様は、神様の大事な後継者であり、愛されている唯一のひとり子です。

この方に優る者は、誰一人としておらず、すべての人は敬うべきお方です。

イエス様は、たとえで預言されました。

人は罪を犯したので、不義となり、楽園を追放されました。

そして、神様の所有物である、エルサレム(神殿)の管理を任されました。

はじめに管理を任せた人々は、ユダヤの人達でした。

どれだけ、信じて言う事を聞いたか(神様を愛したか)が収穫です。

忠実な僕なら、神様に飲ませるまことのぶどう酒が出来ているはずです。

預言者を派遣しましたが、ユダヤの人々は、神様の物を自分たちの物にしようとして、

預言者たちの言う事を聞かないで、袋叩きにして侮辱を加えたり、傷を負わせて追い出しました。

最後に、イエス様が派遣されました。

ユダヤ人は、ご自分の民です。エルサレム(ユダヤ)は、ご自分の地です。

しかし、ユダヤの人々は高慢になってしまい、イエス様を見ても見ないで信じませんでした。

神様の財産を、自分たちの物にしようと盗賊になり、イエス様を、エルサレムの外に追い出し、殺すのです。言う事を聞いて行わなかったので、酸いぶどう酒しかできませんでした。

ぶどう園の主人である生ける父は、

イエス様を再臨させ、従わなかったユダヤの人達を殺し、エルサレム(神殿)の管理を他の人々に与えます。

民衆は、神のことを思わないで「そんなことがあってはなりません」と言いました。

でも、義の人も不義の人もそのままにしてはおけないのです。

この地には、義の人、不義の人がいます。

イエス様は、失われた義の人を取り戻す役目があります。

最後は、エルサレムを他の人々に与えて任せるという目的もあります。

まことのエルサレムの管理ができる義の人々が地にいるのです。

その人々を、イエス様は救いに来られました。

 

イエス様のまことの神殿を造るべきユダヤの人々は、イエス様という石を捨て、隅に追いやってしまいました。

イエス様は封印され、イエス様の言葉(教え)は今のユダヤにありません。

今でもユダヤでは、イエス様の遺体は盗まれたと広まっていますから、神様不在で、イエス様の教えにとどまっていません。

でも、救いはイエス様によって、ユダヤからはじまりました。

異邦人に、イエス様の言葉が託されています。

わたし達が、イエス様の言葉を聞いて、実を結びましょう。

まことのエルサレムの城の石を積み上げる民族がいるはずです。

頑丈な石垣で、天守台を建てます。

あの人は建てかけたが、、、と言われないよう、日々イエス様を信じて愛することですね。

毎日コツコツと築き上げましょう。

 

イエス様の下に従っていれば、イエス様に砕かれることはありません。

イエス様より上に立つ人が、偽の教えを広めて罪に誘惑するなら、

その人は、最も重い罰を受けることになります。

律法学者、祭司長達は、このたとえを自分たちに当てたものと受け止めました。

律法学者は災いです。

 

「ぶどう園を他の人々に与えるであろう」

この言葉を自分たちに当てたものと受け止めた人は、幸いです。

実践あるのみです。