仏教と人類の叡智から学んで

〜みんな菩薩になろう〜


ここのところ、グッと自分のいる世界が変わりました。

この4月は濃かった…。

一言で言えば、

楽になったし、

やっと、こうありたいという自分や
やりたいことをやれる人生が手に入った感じ。

これは実は凄いことで、

私が自分のやりたい事を創造する人生を捨てた、諦めたのは

小学校4.5年生のころのこと。

10歳くらいとしましょう。


それからは、

本当にやりたかったことは封印して、

できるわけない、と絶望して、

代わりに、なんとか人間として、
「それらしく見える事」をして生きてきたんです!

それらしく見える事をやらないと、

本当はめっちゃ逸脱してると思っててそれが恐ろしくて、ヘイトされたらなんていうか

社会の落伍者になって、なんていうか

居場所もなく、人から嘲笑われ嫌われ汚ものと疎まれ…どこという場所もなく、ひっそり死んでるみたいな、(どんな、どんな、過去生があるのだろうか💦どんな業を背負ってるんだ😭)


そんなイメージを持ってたんです。


それが46歳から自分を取り戻したい、という切望を描いて努力してきたわけです。



2日に群馬にいらっしゃる尼僧さんに会いに行ってきました。


これから僧籍をとるための質問やお話を伺いに行ってきたのです。

その方は、

本当のガチ、

霊の障りなどを払っていらっしゃる方てす、!!


天然のただ一心に真摯にお経や依頼の方と向き合う方。


楽しかったのです。


とってもこれからが楽しみになりました❣️




事務員さんが1人また加わったことで、やっと、

買い物やたまに散歩や、昼寝や夜ご飯の準備や、おじいちゃんの部屋の掃除や買い物などあれやこれやできるようになったのです。これまでもやってきましたが、お坊さんやみんなのシフトの空いたところを見計らって、そういつもシフトと睨めっこだったのです。


いまは、自分の自由に時間を組み立てられらようになりました!

午後のお経も上げられるようになったし。



それで、とても、自由になったのです。


そして、菩薩の会。


発足しました❣️


まだこれからだけど、


とりあえず形も整ってきて、

楽しみにしてくれている人たちもできてきて😭


ありがたい〜😭😭😆😆



やっとスタートラインにたった気持ちです。


そして今日は娘と買い物とカラオケ(付き合い)






で、ですね、

今日の表題ですが、



時間が、できたので、

週一で義母の施設に、いくようにしてます。

いままた病院に入院してます…



半身まひで左半分か上から下までほとんど動かなく声がほとんど聞き取れないのですが、必死に訴えてくる感じから、


「ここの人にお世話になってるから、行って、手伝ってきて」と言ってるんです。



義母の考えでは

人様に身体のお世話をさせていて申し訳ない、あなた(私、つまり嫁)行って手伝ってきなさい、という事なんです。


自分の代わりにあなた、働いて、という事なんだと思うのでした。


おかあさんならそう思うのだろうなと思ったので、多分正解だったと思います。


人様にさせるなんて、みたいな気持ちかな、とか、

あなた。なんであなたがやらないのって言われたように少し感じました。


お母さんは、やってるからです。

師匠さんで祖母だった尼僧さんのお世話と

その甥っ子で独身で寺男をしていたお母さんからみたおじさんを。


それが、当たり前と思ってやってたと思う。


すごく働く人だったから。

わたしは、とてもとても叶わないしそこまでは、、


もちろん時代が違う、状況が違う


だから

比べなくていいってわかってる。


ただ、

施設の方、看護婦さん、

お母さんのことよくみててくれて、私たちより今の状況をよくわかっていて、


なんというか違和感はある。


お母さんは認知症が施設に入ってから軽くなったと思うの。

私はかなり、お母さんと意思の疎通ができる。


夫もできる。


義姉さんの方がもしかしたらわかっていないかもしれない。


それは一緒に暮らしていたかいないかの違いなのかと思う。

もちろん、お母さんが喜ぶのは義姉や夫の顔を見た時だけど。



私はわかってしまうのだ。


お母さんが何を望んでいるかも。



そこで、


表題なわけで。


お寺はこの4.5月一番落ち着くシーズンで、いまは余裕があるけど、この後はおぼんおひがん、秋以降は亡くなる方がおおいから法事も多く…と続いていくわけで、


多忙な家業があるのに半身全く動かないお母さんを家に置くのは無理って思う。


実際そうです。

さらに足腰はたつけど、おしもがゆるくなってきた義父もいるし、末娘はまだ高校に入ったばかりだ。



でもね


もし娘が育ち上がっていて、仕事がなかったら、わたしはどうしてたかなーと思う。


介護といっても一昔前よりはだいぶ経験値による便利なグッズや

サポート体制は整ってる。



でもね、

どうだったかな、



…そんなこと考えて、


そう、


表題の言葉が浮かんだのです。



身は一つしかない。


とりあえず週一施設に行き続けることで、


許してもらいたい。


誰に?

お母さん以外のだれか?にも。


…そんなふうに思った1日でした


皆様もよきGWを


わたしは明日からは仕事オンリーです


順番だからね



菩薩見習いmika