世界の叡智と仏教から学んで
〜みんな菩薩になろう〜
今ですから告白しますが、わたしは物心ついた時から人と繋がりたい、人と心を通わせたい、と思ったことがなかった人間でした。
いえ、それを諦めていた人間でした。
世間的にみて、
あるいは学校で、友達は絶対に必要で、ひとりぼっちではない、を、周りに証明するために、気遣い、時に嘘も平気でつき、装って生きていました。
けれど、本音は、
誰にも心を開けないので、
当然1人ぼっち孤独でした
よって、今も人付き合いは苦手な法です
慣れてません、こなれてません
ちなみに、孤独、というのも、
本人にはなんのことかわからないのです。
幼い頃からの環境ってどんなものでもそれがその人にとっては当たり前になるので、客観視って難しいのです。
周りに寄り添ってくれたり、理解したり、言葉をかけてくれる人がいないと、孤独で精神的に負荷のかかる環境に育つと、
当然、自分が今いる環境が、世間で言われる孤独な状況であるって理解できないのです
心理グループに参加して、
どう話を聞いても、孤独な環境で育った方が、
話終わったあと、
涙しながら、「わたしは孤独だったのですね…」とおっしゃった時の驚きを今でも覚えています
(…あなたの育った環境、それって、誰がどう見ても孤独だよね?)
え?気が付かなかったの?
とびっくりしたのを覚えています
そして、その後、
わたしも孤独だったのだ、と気がついたのです
学ぶこと、
自分を客観視することは本当に大切なことですね
さて、懺悔の続きです
懺悔をし終わったあと、ある身体感覚にはいり、
自分が虫けらのように扱われた、と感じていた感覚を思い出しました。
この身体があることが、ここに存在していることにいたたまれなさを感じる
自分を誇れない卑下する気持ち、他の友達をみると自分を卑屈に感じる気持ち
けっして、自分が本当は惨めで可哀想な人間であることだけは知られるまい、と決めたことをよく覚えています
その時から、常に力を入れて、自分をアピールするようになった
明るくて朗らかで愛されていて、優しくて、物事にこだわらないさっぱりとした性格のわたし、を。
これがわたしの不誠実さの始まりだったなあ…
そう感じました。
そして、人間はされたことをするもの。
人の気持ちを慮らず、なんなら困っているのをわかっていても見てみぬふりをする、それでその人がそれをどう感じるのかをそっと観察する…
これは人間の心理としてあるものです。
自分の痛みを、感じるために、理解するために、外側にそれを求めるのです
それをみて、
自分の中の痛みを無意識に見ようとする、
それは無意識には、
その痛みをなくしたい、理解したい、
つまり、乗り越えたい、、という本能のような反応なのです
これは霊的真実です。
魂とは、本質的に成長したいものだからです
ただ、そうやって、自分の痛みを周りに創造したり、それを放置することで、さらに傷は深くなっていく、罪悪感でいっぱいになっていく、劣等感でいっぱいになっていく…
負のスパイラルです…
キャラクトロジーで教わりました。
人はされたことしかしないと。
言いことも悪いことも。
もちろん、大人になっても学んで客観視して、自分はどうしたいのか?を見つめて、自分の行動を変えていく、反応を変えていくことで変わっていくことはできます
けれど、それにはきっかけが必要だと思うのです
わたしは、わたしの反応を超えたい
そう思い懺悔しています
ちなみに、まだ法華懺法のお経本は見つかりません。
だからただ、心で感じて仏様の前で😞しているだけです
ふふっ、
心清い人になれるかな(^^)
10月はなんだか感情的に色々トラブルが生じやすい月だそうです
我が家でも、その種が二つくらい芽生えていて感情をしっかり客観視して落ち着いていこうと思っているところです。
何においても学びですね
特に近しい人たちとは
学びの仲間
ありがたいです❣️
皆様も、、何かあったら魂の鍛錬だと思って落ち着いて対応されますように、できますように、もちろんわたしも
🤲
菩薩見習いmika