娘が授業で描いた油絵が、全日本学生

美術展で佳作に入選し、展示を見に、

上野に行って来た。


構図がよく上手だった。


けどなんだか古傷が…うずいてる??



私は9歳頃かな、漫画を描いていた

のだけど、人生初の夢が漫画家に

なること、あるいは、絵を描いていく

ことだった。


しかし、ある出来事をキッカケに

私は筆を持つこと自体をやめてしまい、

あろうことか、「今後一切絵は描か

ない」と決めてしまったのだ…



あの時のことはよく覚えている、

泣いたり取り乱したりしていない。

とても冷静だったような気がする。



初めて長編にチャレンジした漫画。

半分しか書けてないのだけど、姉が

見せて見せて、とうるさいので、

途中だけど、家族に披露したんだ。


その時の母のコメントに、私は心底

ガッカリしたんだ…



母のコメントとは、


「私は漫画のことはよくわからない。

お姉ちゃんは、内容がない、って言っ

てたよ」というものだった。


母は、ADHDの気がある人だったし、

それはいま思い返してみると、忌憚

ない正直な意見だったのだろうと

感じる。

でも、それまでの系譜ってものが

あって、母はいつも姉と私を比べて

いた。

いつも姉は正しくて、姉の価値観が

採用される。

私は、いつもわがままで目立ちたがり

屋で、堪え性なく泣き虫な、ダメ人間。



そのコメントを聞いたとき、心底

「ああ、何をやっても認められないん

だな」と感じてしまったのだ。


そして、

「もう一生描かない」

と、決めてしまったんだ。



授業では描いた。

美術を選択して10段階評価で9は

もらってた。


美術部の友達をみて、「いいなあ〜」

と思うことがあっても、次の瞬間、

「あの時にやめてしまったんだから

今更描かない」

って考えていた…(書けばいいのにな、

そう、今更、、って思っちゃって

いたんだよね。




大好きな絵を描くのを自分でやめる

禁止するって、あれはなんだったのか?

自分で未だよくわからない。


自傷行為のようなものか??


あの、、「大好きだけど、やらない」

という決断以降、私はひねくれてしまい

思っていることと行動が離れてしまう。


湧き上がる感受性をアウトプットする

場がなくなり、あろうことか、自分を

舞台の女優に仕立て、実人生で

いろんな行動をさせて見る、という

実験を試みることになったのです。

そして、だんだんこんがらがって、

自分が一体なんなのかわからない

人間になっていくのです…。


子供達の感性豊かな作品に触れたら、

やり直したいな、なんて、今日は

久しぶりに思ったよ。


涙、出たよ。