仏教と人類の叡智から学んで
〜みんな菩薩になろう〜
この頃、
「生きるのが苦しい、苦しかった」というフレーズを、見たり、自分が日記に書いたりすることがあるのです。
すると、思わず涙ぐみます、、、
なぜか、というと、
1月の初めに、
浅草待乳山本龍寺という聖天様をお祭りするお寺の朝会に参加した時に、
これは、
「感応道交」と言ってもいいのではないでしょうか?
突然、
ああ、そうか!
とわかったことがあったのです。
このことは、
以前ブログに書きました。
菩薩の会にきてレクチャーしていただいている野口整体の先生にそのことを聞いて見ました。
荼吉尼天さまの神障だったのでしょうか?(その先生は霊感があります)
すると、こうおっしゃったのです。
「身体からしか私は見ないのですが、
こんがらがりがあると感じたのが右の脇腹下ならそこは肝臓なので、そこに怒りがある、というように私は見ていました」とおっしゃいました。
そう、その時は無意識でしたが、
右脇腹の下にある何か、が悪さしている、とはっきり感じていました。
神障だったのか?
そのこんがらがりを、客観視できたことで、
私は本当に楽になったのでした。
いまも、時にしみじみ感じます。
…私は苦しかったなー
と。
物心ついた時から
その部分の私はもう苦しくで、辛くて、収まりが効かず、家族とはうまくいかず、言うことは伝わらず、
なぜかわからない、
という混乱の中にいたのですから。
もちろん、そのこんがらがりも私なんです。わたしがつくったものです。
でも、なんというのかな?
何か違うのですよ。
うまく言えないのですが、
そのこんがらがりは言うことを聞いてくれないというか理性が働かない、堪え性が全くない、
と言う感じで。
世の中でいう、
良き行動とか、よき人間とか、
優しさとか人のことを慮るとか、
もうそこから離れちゃう、
いうなら、真逆のところにいて、暴れているような、そんなかんじだったのです。
自分でもどうしようもありませんでした。
…
…
なんか、だからいま本当にホッとしているのです。
ある意味、やっと自分を信頼できるようになったと言うか。
なんなのだったのか??一体全体…
人からも疎まれるのですよ。
重いからですよね、今ならわかります。
でも、私は自覚なく重いわけですから、というかどうしようもないわけですから、
誰か救ってほしい、、って本当は思っているわけです。
何より自分を信頼できないということは心底辛いことです…
そして、その私の重さ、暗さに気づいた人は去っていきます。というか信頼できない人間ですから仕方ないです。
ただ、私の重さに気が付かない人がいるのです。
その方は私の重さに反応しない、ということは、心が美しい方なのですよね。
人は自分の中にあるものしか、反応しないものです。
重いエネルギーを持たない人は、私の重さには気が付かなく、良き方にとっててくれました。
…そんな人に、私は誠実にお付き合いすることはできませんでした。
…はっ、ブラックだし、
迷惑かけたこともあるし、
今生で悟るのはもう無理とは諦めてます、、、ハハ(急に自虐にはいってます💦)
話を戻して💦、
心理学を学び、
ヒーリングを受け、
いろんなことを学びましたが、
やっとなんとなくひとつの納得のようなものが得られ、正に憑き物が取れたような感覚です!!
…これは凄いことなのです!
本当に凄いことなのです!!
私は生きるのが辛かった、本当に辛かった…
神仏様に願い事をしてきて、
いつもお力をいただこうと、いただけるようになろうと頑張ってきてよかった。
神仏様のお力です。
これは全てそうです。
その辺の神仏様や障のことなど詳しく書いてくださっているブログがこちらです。
修験密教のこともですが、
神仏様ご先祖さまのことをわかりやすく書いてくださっています。
お二人のお人柄が素晴らしく、見ていて笑ったり見終えて、心がスッキリとしています。
また、お世話になっているタカテルさん
この頃わかるようになりましたが、人を(霊的な意味で)導くというのは、とても匙加減が難しいことなのです。
霊的世界が示すことをどのように形にして相手に伝えるか?
それをブレずにされている、
それが、どれだけ凄いことか、やっと意味がわかってきました。
とにかく今は楽になったことをもう少しじんわりと噛み締めてみようかな、と書いていて感じました。
とはいえ、憑き物のせいであった、としているわけではありません。
今は、少し、なんというか、空いた隙間の開放感を味わいたい、ということです。
全て自分自身ですからね。
供養も今日からブラッシュアップさせていただきました💦
首を捻りながら、よくわからないながらおずおずとさせていただき始めました…
この話はまたいずれ…
読んでいただきましてありがとうございました。
菩薩見習いmika

