◆神仏が教える
心を壊さない生き方
現代人の苦しみの多くは、
「比較」から生まれている
のかもしれません。
昔から人は、
他人と比べる生き物でした。
しかし現代は、
その比較が終わりません。
前回も話をしましたが
SNSを開けば、
・幸せそうな人
・成功している人
・楽しそうな人
・才能のある人
が、次々に流れてきます。
すると人は、
「自分はダメだ」
「自分には価値がない」
「もっと頑張らなければ」
と思い込んでしまうのです。
◆ 比較は「終わり」がない
しかし実際には、
比較には終わりがありません。
年収が増えても、もっと上がいる。
人気が出ても、もっと有名な人がいる。
天才と言われても、もっと天才がいる。
どれだけ成功しても、
「もっと上、もっと上」
を見続ければ心は満たされません。
仏教では、このような状態を、
「渇愛」とも表現します。
もっと欲しい。
もっと認められたい。
もっと評価されたい。
その心が強くなるほど、
苦しみも増えていくのです。
◆ 仏教でいう「修羅の心」
仏教には、六道という考えがあります。
その中に、「修羅道」があります。
修羅とは、勝ち負けに執着し、
他人と争い、比較し続ける心
の象徴でもあります。
現代社会は、ある意味、
「修羅道化しやすい社会」
とも言えるかもしれません。
SNSでも、
・マウント
・承認欲求
・見栄
・嫉妬
・炎上
が絶えません。
本来、便利な道具であるはずなのに、
比較ばかりしていると、
心はどんどん荒れていきます。
◆ あの人みたいになりたい!
が苦しみになる
もちろん、憧れを持つこと自体は
悪いことではありません。
しかし、「あの人みたいにならなければ」
となると、苦しくなります。
なぜなら、人にはそれぞれ、
違う因縁、違う役目、
違う人生があるからです。
仏教では、「自分の縁を生きる」
という考え方があります。
他人の人生を生きようとすると、
苦しくなる。
自分の因縁、自分の役目、
自分のご縁を無視して、
誰かの成功だけを追いかけると、
心は疲れていくわけです。
◆ 神仏習合の時代は
「調和」を重視していた
昔の日本人は、
「皆が同じでなければならない」
とは考えていませんでした。
・山で生きる人
・海で生きる人
・農を支える人
・武を支える人
・祈る人
それぞれに役目がありました。
神仏習合の時代も、
「和をもって尊しとなす」
という考えが大切にされてきました。
しかし現代では、
「勝った人だけが価値がある」
という空気が強くなりすぎています。
だからこそ、人は疲れるのです。
◆ 比較を減らすと心は軽くなる
仏教では、苦しみを減らす為に、
「執着を減らす」ことを大切にします。
その中には、「比較への執着」
も含まれます。
「あの人より上か下か?」
「評価されているか?」
「認められているか?」
ばかり気にしていると、
心は休まりません。
しかし、
・今日を丁寧に生きる
・今あるご縁を大切にする
・できる善を積む
・感謝を忘れない
という方向へ意識を向けると、
少しずつ、心は整っていきます。
◆ 本当に大切なのは
「誰かになること」ではない
現代では、
「特別な誰かになること」
ばかりが重視されます。
しかし伝承の世界では、
名もなき人々の祈りや善意が、
長い歴史を支えてきました。
寺社も、地域も、文化も、
そうした人達によって守られてきたのです。
だからこそ、無理に誰かになろうとして
自分を壊してしまうより、
まずは自分の人生を丁寧に生きる。
それが結果として、良いご縁や、
良い因果へ繋がっていくのだと思います。
◆ 次回は
第4回では、
「成功しても満たされない人達」
というテーマについて、
お金、地位、承認だけでは
埋まらない心と、仏教で説かれる
「足るを知る」という智慧について、
神仏習合的視点からお話して
いきたいと思います。
つづく


