夏目漱石「こころ」感想 | ninaxxx

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こころ /夏目漱石

感想文です。

LOOP WORLDにも思いを巡らせながら。


あらすじ

親友を裏切って恋人を得たが、親友が自殺したために罪悪感に苦しみ、自らも死を選ぶ孤独な明治の知識人の内面を描いた作品。鎌倉の海岸で出会った“先生”という主人公の不思議な魅力にとりつかれた学生の眼から間接的に主人公が描かれる前半と、後半の主人公の告白体との対照が効果的で、“我執”の主題を抑制された透明な文体で展開した後期三部作の終局をなす秀作である。




青空文庫 リンク↓



高校の国語の教科書に
載ってたらしいですが
全然記憶になく。


読まれたことのある方は
結構多いのかな
私はこの歳にして初めて読みました。
文章はすごく読みやすかったです。





先生の遺書の部分
最後の100ページほど
なんだか読むのが怖くて
半年以上 放置していて
最近またおもうことがあって
読んでみました。




上:先生と私
中:両親と私
下:先生と遺書

という3部構成。

先生と遺書が
半分くらいのページを占めています。




前半の「先生と私」
主人公から見た先生との関係性
全てを知っている「私」の独白は
すごく透明感があって
好きでした。




特に好きだったのは
先生と空を見上げるところ。




先生は青い透き通るような空を見ていた。
私は私を包む若葉の色に心を奪われていた。
その若葉の色をよくよくながめると
いちいち違っていた。
同じ楓の樹でも同じ色を枝につけているものは
一つもなかった。
細い杉苗の頂に投げかぶせてあった先生の帽子が
風に吹かれて落ちた。


読みはじめた春の頃
帰り道の楓の樹
見上げた時に
このくだりがふと浮かんだ





途中で怖くなって読めなかった
「先生と遺書」の章の後半は
案外冷静に読めました。

 


「三四郎」や「それから」とは
また違った…
なんていうのかなあ
客観視しているようで
ものすごくエゴだった。
嫉妬も狡さも全てをさらけ出していく。
それを託された人の気持ちは
どうなんだろうか
先生と私の関係性なら
いいだろう?ということなのか
あなたの役に立てば、と書いてある
役に立たない人には言わない、と書いてある。
そっか。




そこで
意地悪な私がメキメキする
私もエゴだらけの狡い人間
きっと私も
ものすごく甘えた部分があって
客観視しながら諦めているようで
どこかで自分以外に
責任を持っていこうとしてる
自分の心の力動を感じてる。




それを普段から自分で
抑え込もうとしているから
エゴをさらけ出していく先生の独白に
苛立ったのかもしれません。
いつもそういうものに
私はイライラしている気がします。




それを許せないから
今の自分も許せないのかな。
まあこれも知らんがな自分でなんとかしろ案件。笑




でもエゴだらけも
人間として生きていたら
それが自然の姿なのだろう。
でも自分さえ受け入れるのは結構難しい
受け入れるのは無理かもしれない
そう思いながら
もがいていく。
そしてまた生まれる明日を迎えるってこと。




解説には原罪と書かれていて
そういうのは
私も感じてきた人間で
生まれてきてハッピーラッキー
生まれ変わったらまた私になりたーい
みたいな
私はどうしてもそういう風にはなれない
こういうのは生まれつきのものなのかなあって
思います。
これも甘えなのかもしれないけど。
みんなまた自分に生まれ変わりたいものなのかな。




なんかわからんけど
生まれてきちゃった
自分で選んだわけじゃないのに
という、思春期にあるような?考えを
私はずっと引っ張ってきたように思います。
まあこれでもだいぶましになってるかな
好きなことがある
楽しもうと思えることがある
これも成長なんかな?…ちがうか(^_^;)
そういう意味で
人やお仕事や日常に助けられてる部分が
たくさんあるなあって思います。




AKIHIDEさんが前にインタビューで

生まれてきたことも
自分で選んだわけじゃない
だから、それをどう生きるか

みたいなお話を確か、
Amberの頃のインタビューで
言われていて
AKIHIDEさんを好きだから
すとんと心に入ったのかな
よくわからないんだけど
なんか、ここにもこんな風に思ってる人がいるんだって
とても心強く感じたんだよね。

言えないことを言ってくれたという感覚。




MOON SIDE THEATERの動画
「恋するハサミ」には
罪の意識みたいなものが
描かれていて
そういう物の感じかたには
心の中の鈴が鳴る感覚がありました。



じゃあ先生にはなぜイライラしたのかな
ならどう生きていくかという視点がないからか。




先生が「私」を唯一信用できる人として
認識して手紙を書き遺した。
「私」もそんな風に受け止めたんだろうな
もう全てを読んで知った「私」は
何を感じるのか。
何を感じろというの?




「私」の中に
先生は生き続ける。
残酷なことかもしれない
でも、しあわせなことでもあるのかもしれない。

残酷なスクラッチでも
心を重ねようとした人によって
爪痕を残されることは
長い目で見れば
しあわせなことなのかもしれない。
それだけ近くに居られたわけなんだから。




またこれから先に読み返す時がきたら
その時
どう感じるのか
わかんないけどね。
今の私からはこういう思いが出てきました。




漱石さんの小説は
「草枕」
「夢十夜」
「三四郎」
「それから」
と読んできて
漱石さんのすごくロマンティックな
五感やものの感じ方
そしてその溺れない美しい表現が大好きって
思ってたから
「こころ」は
突然ナイフの切り口を見せられたような
そんな気持ちになりました。





で、解説、ちょっと面白かったのね。
我執の文学。
漱石さんが
自然、自由の極致に辿り着く。
それを目指したと
と書いてあって
自然というのは
あるがまま、ということのように思いました。




漱石さんもいろんなこと、自分自身のことも
自由を感じられなかったから
自分自身に縛られていたから
それを目指したのかなという気がしました。




自然、のことは
村上春樹さんも
どこかで言われてたような。
村上春樹さんの作品は
あるがままに
自分を受け入れた上で
困難を乗り越えていく姿が
描かれているような気がする。


ヘッセのシッダールタでも
あるがままということが
テーマのひとつとしてあったように思った。




AKIHIDEさんの
LOOP WORLDの物語も
あるがままを認められなかった主人公が
あるがままを認めて
これから歩んでいこうとする物語のようにも思う。
星飼いの少年のお話も
そうだと思う。
うん。




漱石さんの愛好した標語
「即天去私」
自然の論理にのっとって私を去る。
という意味らしいのだけれど
その言葉にすごくシンパシーというか
希望を感じました。


私はまだまだ全然辿り着きそうにないけどな笑




私は
向かいたいと思ってる場所に
ほんとは辿り着きたくないんじゃないか
と、気付く。

だから同じ場所に戻されるように感じてたのか
自分でそこに戻ってたのかな
って、気付く。

そして
いつまでも同じ場所には居られないんだなってことにも
気付く。




繰り返すこと。
出られないこと。
だから生きていくのかな。
繰り返しても 出られなくても
時は進む。



同じ樹の下で。




次は村上春樹さん訳の
「心は孤独な狩人」にしようかなと思ったのだけれど
本屋さんで手にとって
文字数の多さとお値段に少し躊躇。笑

こちらにしました。



買ってからちょっと時間経ってて
よく見ると
こちらにもエゴという言葉が。
なんか今この引用されてる文章読むと
いや、ほんとに。って思う。


のんびり読もう。


ここまで
読んでくだって
ありがとうございました。




ではではまた。