神坂夫人美奈子さん、夫に悪意を向けた人間が不幸になることは何となく理解していました。
ただ、義母の高子さんに関わった人はそれ以上にひどいことになっていましたから、それにくらべればましかとそれ以上追及はしませんでした。
でも、夫は仕事からリタイヤしましたし、お互いの親戚も半減しましたし、彼に悪意を向けて犠牲者になりそうな人は、皆亡くなってしまいましたから、本当のところはどうなのか、確かめてみることにしました。
「ねえ、あなたの悪口を言うと呪われるって、まだ有効なのかしら。」
聞いてから思い出したのですが、32歳の時に子宮筋腫破裂で死にかけた時、自分も夫の悪口を言ったことがありましたから、当時は効果があったことになります。
すると、意外な答えが返ってきました。
「美奈子が言うのが、いわゆるイージスの方だとしたら、僕にはわからないのが真実だ。」
イージスとは、ギリシャ神話の女神アテナの持つ盾の名前で、全ての攻撃をはね返すと伝えられていますから、彼は、自分の超能力の一つを「イージス」と呼んでいたのです。
「あなたにはわからないの。」
「そう。だって、イージスは、本当に神様の領域で、僕自身の意思は全く反映されないし、元々、僕が全く知らないところで僕の悪口を言うと、大変高い確率で不運に見舞われるという現象を発見した、大学の後輩の聖護院真智さんがつけた名前だからな。」
夫が付けた名前だとばかり思っていましたから、名前の由来も意外でした。
「へえ、そうだったんだ。」
「だから、イージスが働くかどうかは、本当に神のみぞ知る領域のお話だし、現在有効か無効かもわからないのが実態だ。まあ、美奈子は試したりはしないと信じているが。」
最近イージスの犠牲者が出たとは聞いていませんし、試しても大丈夫そうなら少し試してみたくなっていた美奈子さんでしたから、機先を制されて慌てて否定しました。
「そんなことしないわよ。」
一郎君、にたっと笑って付け加えました。
「イージスは神の領域だが、鏡のスタンドについては、僕個人の領域だ。だから、それについては、恐らく現在も有効だろう。」
「鏡のスタンド」とは、某人気漫画に出て来た超能力なのですが、原作とは違って、彼の「鏡のスタンド」は、イージスの対人版で、彼に対して振るわれた暴力を、反射するかのように反撃する能力だったのです。
ですから、超能力ではありますが、目の前に居て彼に危害を加える相手に対してしか働かないわけです。
「まあ、あなたの実態を知っている人間は、絶対手を出さないでしょうから、安全だとは思うけど。」
いや、一郎君自身は、一見穏やかな紳士ですから、自分のの強さを見分けることができるのは、武道の達人ぐらいで、普通の人間には強さは伝わりませんから、むしろ、こちらの方が危ないと思っていました。
「あのなあ、僕の強さがわかるのは、武道の達人クラスだから、鏡のスタンドの自動反撃の方がはるかに危ないな。」
言われてみるとそのとおりで、一郎君の強さを見分けたのは、柔道空手の黒帯だったヤクザの佐々木氏、研修で世話になった空手道の師範たちぐらいでしたから、一般人にはわからないと言われると、その通りかもしれません。
でも、美奈子さんは、何となく感じていました。夫が本当に怒ったら、いや、夫に殺意を向けたら、命が危ないと。
「言われてみるとそのとおりね。でも、不思議なんだけど、あなたの力って、普通の力じゃないのよね。」
夫は、体格の割には怪力ですが、時々物理的にあり得ないような力を発揮するのです。
「ああ、あれね、僕自身困ることがある。ある意味、「葬送のフリーレン」に登場する女魔法使いユーベルの「大体何でも切れる魔法」みたいに、その時に、切れそうだ、折れそうだ、と思うと、普通なら絶対に切れないものでも切れてしまうし、折れないものでも折れてしまうんだ。その瞬間そう思ったらそうなってしまうから、なかなか制御できない力なんだ。」
美奈子さん、思い出しました。
「あっ、ベンツのエンブレム折ったやつね。」
折れそうだと思って人差し指でちょんと押しただけで、バキッと折れてしまったのです。
ヤナセのサービスマンやセールスマンも、「これ、力を加えると倒れるようにできているので、絶対こんな風には折れないはずなのですが。」と戸惑っていました。
「そう。実害が出たのはあれぐらいで済んでるけど、物理的に不可能ではと思えることができてしまうのが怖い。あと、ずっとやっていないから今できるかどうかわからないけど、サッカーのゴールキーパーやった時に、手で触れるだけで強烈なシュートでも跳ね返していたな。あれ、京大の工学部の連中とサッカーやった時にやって見せたら、運動力学のベクトルを考えると、物理的にあり得ない。と首傾げていた。触れただけで、ボールに反対方向のベクトルを与えられるはずがないということらしいけど。」
それは実害が無さそうですから、美奈子さんも安心していますが、確かに超能力としか言いようがありません。
「そう言えば、あなた、大学の同窓会で、超能力者って言われてるんでしょう。」
今年も5月に大学の同窓会に参加してきたのですが、彼の話を聞いた同窓生たちは、超能力としか考えられないと面白がっていたとのことでした。
美奈子さん、夫は嘘をつきませんから、彼の話は全て事実なのですが、荒唐無稽な話が多いので、嘘だと否定しないところが、京大生は凄いなと感心しました。
しかし、最初から単純に信じていた訳ではなく、彼ら、話を聞いているうちに、嘘なら絶対理論的に破たんするところが出てくるはずだがそれがないし、彼が嘘をつく意味もないからと信じてくれたとのことでした。
まあ、一郎君の場合は「超能力者」で済んだのですが、キャリア官僚を辞めて、普通なら考えられないような決断を繰り返して転職し続けた同窓生は、「変人」と呼ばれることになったと聞いて、思わず大笑いしていまいました。
美奈子さん、一郎君と結婚1年後に千葉のアパートに住んでいた時に訪ねて来た京大の同窓生も、東京の六本木警察署の看板を見て、「蹴ってみたくなった。」と思ったらそのまま実践し、飛び出して来た数人の警官に取り押さえられてその晩留置場に泊まったと言う話を聞いたことを思い出しましたから、「あの警察に泊まった人、その後どうなったの。」と聞いたら、「通産省の高級官僚になった。」との答えでした。
それを聞いて、夫も含めて、京大生って、十分変人揃いだと改めて思った美奈子さんでしたが、その変人超能力者の夫がなんとか無事にリタイヤできて良かったし、今平穏に暮らせている自分も幸せだと安心し、この幸せが続くようにと祈るばかりの美奈子さんでした。