神坂美奈子は、夫俊一郎が、最近良く聞いているユーチューブミュージックで、クラシック音楽を聞いてみました。
聞いていると、聞いたことがある曲でしたから、夫に、何の曲か聞いてみました。
「ああ、それは、モーツアルトの名曲フィガロの結婚の中のアリア「恋とはどんなものかしら」だな。」
美奈子、CMで聞いたことがあることを思い出しました。
「これ、CMの曲では。」
俊一郎は、笑いながら答えました。
「そうだな。感じはずいぶん違うんだが、昔、キューピー3分クッキングのテーマ曲になっていたな。」
「ところで、どんな意味なの。これ、英語じゃないわよね。」
「そう。イタリア語だな。でも、これ、変なんだよな。」
「何が。」
「女性が歌っているだろう。」
確かに、どう聞いても女性です。
「そうね。で、どこが変なの。」
「実は、少年ケルビーノが歌っていることになっているんだ。」
「何で、女性歌手が歌っているのよ。」
「少年役だからかなとは思うし、歌詞の内容は、男性が、女性に問いかけるものなんだよ。」
「恋とは、どんなものかしらって。」
「当たらずといえども遠からずで、女性に対して、私の心に恋があるのでしょうか、どんなものがわかりません、欲望に満ちているようで、凍り付いたり、燃え上がったりして、思い悩むんですよ。僕の心に恋はあるんでしょうか。ってな変な歌詞だ。」
「そうなんだ。」
美奈子は、夫には恋愛感情自体が欠けていることを知っていましたから、意地悪く聞いてみました。
「恋とは、どんなものかしら。」
彼は、あっさり答えました。
「わからない。美奈子は、どうだい。」
聞き返されると、答えに窮します。
「そうね。この人と一緒に居たい、愛してもらいたいって感じかしら。」
「愛ってなあに。」
更に難問が帰って来ましたが、これ、以前に彼に聞いたことがありましたから、彼の答えで逆襲しました。
「この人を大切にしたい、守ってあげたいって心だって、誰かさんは答えました。」
彼は、笑っていました。
「そう。僕には、生来の感情がないから、論理的に考えた結果に、恋する君の行動を参考に加えた結果だ。」
普通の人間なら、こんなことはないのだろうと思いますが、これ、嘘偽りのない彼の本心なのです。
「じゃあ、私の恋心を弄ぶこともできたわけね。」
皮肉を込めて言い返すと、彼は、何だそれはと言う感じに答えました。
「僕は、君の要望に応えただけだ。」
確かに、それは事実なのです。
何せ彼は、私の理想の恋人だったのですから、私の心は、彼には弄び放題でもあったのです。
私より頭がいい、私より背が高い、酒に酔わない、タバコを吸わない、堅実、それ以上何も望むことはありませんでしたから。
この話をすると、皆不思議そうな顔をして聞いて来ます。
「容姿や学歴のことは、考えなかったの。」
実は私、彼と付き合う段階では、本当に、全くそれらは考えていなかったのです。
信じられないと言われましたが、彼と、婚約に近い約束をしてもらった後で、顔をじっくり見て感動しました。
「ハンサムじゃん。」
そして、皆にこうも言われました。
「西都大卒って、凄い学歴じゃん。」
私、西都大学って、ノーベル賞受賞者を沢山輩出している大学ってことしか知らなかったのです。
そもそも、田舎の高卒の私が、そんな大学を卒業した人と結婚することになるなんて、ありえへんと思っていたのですから。
「私は、あなたが、事実上初恋だったんだけど、あなたはどうだったの。」
これ、交際する時に聞いた質問なのですが、不可解な答えしか返って来なかったのです。
「恋、したことないからわからない。」
「じゃあ、私と何故結婚したの。いや、恋もせずに結婚できたの。」
彼は、深くうなずきました。
「うん。一目見て、将来の妻だとわかったから、結婚した。恋したことはない。そもそも、恋って不可解だ。」
私にとっては、あんたの方が不可解じゃ、と言いたかったのですが、聞き返しました。
「どこが、不可解なの。」
「美奈子が、僕に恋したのを見て思った。」
「何と。」
「恋は、盲目じゃ。」
ジャニス・イアンの曲名です。
「どうして、そう思ったの。」
「おとなしいというか、控えめと言うか、奥ゆかしいというか、貞淑というか、万事、昔の大和なでしこと言ったらおかしいが、そんな女性の典型だった美奈子が、暴走したからだな。」
彼の言わんとしたことがわかりましたから、私は恥ずかしくなりました。
「そうね。私、あなたと経験したら、もろ、セックス依存症になっちゃったもんね。」
結婚直前の頃の私は、とにかく彼から離れたくなくて、キスやハグではとても我慢できず、会う度に、セックスを迫りまくったのです。
「いや、あれは、とっても魅力的だったけどね。高校生にさえ見える美奈子が、淫らに迫りまくってくれたのは、本当に意外性を突き抜けた、ありえへん魅力だったよ。」
私にとっての意外性は、彼の精力絶倫でした。
「私が意外だったことは、全く浮いた話の一つも無かったあなたが、セックス依存症の私を、情熱的に満たしてくれたことかしら。」
「あはは、当時はまだ妻じゃなかったな、婚約者に迫られて、満たすことができないのは、男じゃないって、感じだったかな。」
「そうね。一日中やってたような…。」
彼は、いたずらっぽく笑いながら聞きました。
「最高何回やったか、覚えてるかい。」
「もう。そんなこと、おぼえてないわよ。」
「京丹波の実家でやった、5回が最高だったな。」
「えーっ、そんなにやったかしら。」
私としては、何だかずっとやったって言う記憶で、回数は数えていませんでした。
「二人だけだったからできたことだったけど、まず、朝、起きがけに1回。朝食後しばらくしてから、僕がピアノを弾いたのがきっかけになって、断続的に昼まで3回。その後、美奈子は死んでたから、夕食後、寝る前に1回の計5回だったよ。」
言われてみるとそのとおりだったのですが、よくできたものです。
そもそも、ピアノの曲名が悪い。
エリック・サティのジュ・トゥ・ブだったのです。
聞いたことがあった曲だったので、題名の意味はなあにって尋ねたら、彼はこう答えました。
「お前が欲しい。」
次の瞬間、私は、彼をグランドピアノの下に押し倒して、連続してやりまくったのでした。
そんなことがあったのは、今やうその様で、現在私は、9年間セックスレスなのです。
彼は、いまだに現役かつ精力絶倫のようですが、幸いなことに、私としかやりたくないようで、閉経後感じなくなってきたので、やりたくなくなったと正直に事情を話すと、快く受け入れてくれたのです。
彼は、恋愛の時と同じで、私が感じてくれないと、自分も感じないし、私がセックスを楽しめないと、自分も楽しめないから、する意味がないと、応じてくれたわけです。

そんな彼には、26年前に43歳の若さで亡くなった、摩耶美紀子さんという大学同期の元カノが居たのです。
彼女は、天才の中の天才で、夫も絶対かなわなかったと脱帽していたほどの女性だったのですが、彼は、私と交際する前に分かれていたのです。
別れた理由を聞いたら、裕福な家庭のお嬢様だった彼女を養っていくことができなかったという、単純かつ切実なものに加え、両親が離婚訴訟中で、家庭的にも、彼女を受け入れることは困難と判断したものでした。
まあ、私となら結婚できたというところが、彼女との差を物語りますが、片やエリート中のエリート、私は、田舎の高卒女でしたから、冷静な判断だったと言っても間違いではなかったでしょう。
夫と私が結婚した半年後、美紀子さんは、人もうらやむ結婚をしていましたから、夫は、自分の決断は正しかったと思っていたのですが、18年後に彼女と再会して愕然とすることになりました。
同一人物とは思えぬほど、余命1ヶ月と診断されるまでにやせ衰えていたのです。
名誉なことなのですが、私以外の女性には目もくれなかった夫が、どうして彼女と再会することができたのかと聞いたら、何と彼女の亡父が彼の夢枕に立って、「娘を助けてやってくれ。」と頼んだそうです。
もうその時点では、夫には3人の子供も居ましたし、私と一応仲睦まじい夫婦でしたから、何故美紀子さんが登場するんだということになります。しかも、彼女も二人の子がいる人妻だったのですが、夫と子供とは別居しており、本人が夫に、「私、自分の家庭破壊したの。」と悪びれずにカミングアウトしたついでに、更にとんでもないカミングアウトを続けたのです。
何と彼女、「私が愛したのも恋したのも俊一郎さんだけ。」と面と向かって告白したのです。
流石に夫も困ったのですが、彼、メンタルトレーニングの教官とともに、カウンセラーも務めた経験がありましたから、サイコセラピストになって、彼女の話をひたすら聞いたのです。
すると彼女、もう死ぬ気になっていましたから、更にカミングアウトしたのです。
「あなたも、愛したのも恋したのも私だけよ。」と。
これ、相手が夫でなければ、我が家の家庭も破壊されかねなかったのですが、流石、自分の妻は私だけと幻視した超能力者で、とにかく丁寧に、彼女を傷つけないように、ひたすら聞き役に回ったのです。
あと、美紀子さんも、夫と不倫をする気は全くなかったそうなのですが、彼女、夫と同じ身長で体重35キロにやせ衰えていたため、ガリガリ女は生理的に受け付けない夫は、彼女が病人でなかったら、側にも寄りたくなかったことも、お互い幸いだったんだと思います。
恋とは、どんなものかしら、の答えの一つとして、彼女のような関係もあったわけです。
ただ、夫に感情が無いのと同じく、彼女にもかなり感情の欠陥がある似た者同士でしたから、夫に、真相はどうなのと聞くと、彼は正直に白状しました。
「僕に、恋した相手が居たとすると、美紀子さんと言っても、間違いではないだろう。」
「私は、恋した相手ではないってこと。」
「恋愛感情の無い人間には、所詮理解できない面があるが、美奈子は、妻となる人間であって、世間一般の恋人ではなかったと言える。」
「あなたは、ガリガリは駄目でしょう。」と更に確かめると、見解の相違で、恋愛の対象として捉えることの可否とは別だとのこと。
まあ、恋愛感情の無い夫に、その質問をしたこと自体が間違いだったのでしょう。
もう、難しい話は止めて、おとなしく、音楽を聴いていることにします。

稲刈りがすっかり終わった田んぼと、愛車1号です。
愛車2号と比較しては可哀想なのですが、こちらは頑丈な分重い。