実は3年前に、妻の神坂高子と離婚後行方不明だった一郎君の父である神坂常和氏、旧姓辻野常和氏の妹に当たる人、つまりは、一郎君には叔母に当たる野口恵子さんが亡くなって、相続問題が生じ、恵子氏の兄で一郎君には叔父にあたる辻野久氏が依頼した弁護士から、わさわさと大量の書類が届いたのです。
一郎君は、辻野久氏とは面識がありましたが、野口恵子さんとは会ったことも無く、久氏の弟が一郎君が2歳の時に亡くなったことは知っていましたが、彼女には弟つまりは一郎君にはおじさんとなる人が更に二人も居たことは、全く知りませんでした。

ですから、権利12分の1という相続のお知らせは、驚きだったのです。
しかし、このお知らせで、一郎君が取り仕切らざるを得なくなった常和氏と高子さんの離婚調停の最後に、妻高子さんと共に息子の一郎君に暴言を吐いて調停を不調に終わらせて以来音信不通で、とっくの昔に死んだかと思っていた常和氏が、何と元妻で一郎君の母の高子さんよりも1年長生きしていたことが判明したのです。
つまり、一郎君に嫌がらせ的について回って、首を絞めたり、屋根から引きずり落したりしたため、悪霊だとばかり思っていた常和氏の霊は、質の悪い生霊だったことも判明したわけです。
また、相続関係の参考に送付された戸籍関係の図で、一郎君が知っている関係者の情報とかなり相違があることもわかったのです。
まず、一番大きな相違は、常和氏の戸籍で、これは、かなりいじくったと聞いていましたからそれほど驚かなかったのですが、実際は昭和元年にアメリカで生まれたものが、外交官の父とともに帰国した日と思われる昭和3年4月27日生まれになっていたことです。
これで、常和氏の数奇な運命が、更に過酷になったのですから、いろいろ事情があって良かれと思ってやったことだったのだとは思いますが、罪なことです。
また、常和氏の継母になった辻野真紀子さんとは、彼女が息子の久氏の元に身を寄せていた時に一郎君も家族で会ったことがありました。

彼女は某有名大名家の娘で、常和氏からも聞かされていましたし、真紀子さん本人もそのことを認め、一郎君にもその姓を名乗ったのですが、戸籍では、その家名はおろか、結婚していたはずの夫とも姓が違っていて、こども達は皆辻野姓で、常和氏は彼女の長男になっていましたから、そのことも大変不可解だったのです。
どうも、元?夫と結婚した日も、常和氏が生まれた日も、全て昭和3年4月27日になっていたようで、戸籍上の夫は昭和20年に亡くなっていて、姓が違いましたから、その後再婚して辻野姓になり、その際にこども達も皆辻野姓になっていた可能性は考えられました。
しかし、それならば、彼女や子供たちの戸籍にはその痕跡が残っていなければならないはずで、とにかく不可解な戸籍だったのです。
それで思い出したのですが、常和氏、出身は高知県で、これまた一郎君の知る限りでは、彼の家族も昭和30年代までは高知に居たはずなのです。

ところが、戸籍で高知県につながるのは、常和氏の弟が高知県内で死んだ記録があるだけで、他の親戚一同には全く高知県との関連が出てこないのです。
そこで、戸籍や相続とは余り関係のないホラーな話になります。
常和氏、高知に伝わる狗神の呪いに大変詳しかったのです。

元はと言えば、まだ一郎君が7歳ぐらいの時に、茨木の大邸宅に築かれていた犬のお墓が山の斜面に沿って一列に並んでいたことに興味を覚えて、父に何故こんな風に並んでいるのかと聞いたことからスタートしたのです。

常和氏、「特に意味はなかったのだが、パパの故郷では、犬のお墓はこんな風に並べていたからだな。」と答えたのですが、一郎君、大変好奇心旺盛でしたから、父の故郷の話を聞いているうちに、高知に伝わる狗神の呪いについても教えてもらえることになったのです。
狗神筋とその呪いに関する一般的な言い伝えでは、残酷なことに、飢えた犬を首だけ出して地面に埋め、餓死する寸前に首を切って、その首を呪物とすることになっていますが、常和氏の話では大分違っていたのです。

首だけ出して埋めるところまでは共通していましたが、犬が餓死するまで毎日その犬の前に餌を持って行って、「お前には、××さんの命令で、餌をあげられないんだ。恨むなら××さんを恨め。」と繰り返すのだとのことでした。

そして、その可哀そうな犬が死んだら、首を切って、その首を呪う相手の家の裏山に埋めることもあったと言いました。

だから、呪う相手の家に首が向くように、山の斜面に埋めたのだそうです。
一郎君、父の常和氏が見て来たかのように話しましたから、これはこれで怖いなあと思いましたが、もっとホラーなのは、常和氏、呪殺を生業としていた狗神筋の一族の係累だったらしく、親戚には呪いを請け負っている人も居たらしいのです。
狗神筋ですが、世間では被差別民の一つの形ではないかと見られていますが、高知県に現存するいざなぎ流陰陽道と同じく、呪いを請け負う一面もあったようなのです。

そして、常和氏には狗神筋であることの大変な証拠があったのです。
彼は、何とお尻に尻尾の痕跡があったのです。
尾てい骨が飛び出した3センチぐらいの瘤みたいなものでしたが、一郎君が父と一緒にお風呂に入った時、「それなあに。」と聞いたら、「しっぽの跡なんだよ。お父さんの一族には、これを持っている人がたまに出るんだよ。絶対あり得ないけど、先祖が犬で、それでこんな跡があるんだという言い伝えがあるんだよ。」と話してくれたのです。

幸いなことに、常和氏以降は、一郎君にも他の家族にも、親戚にも、しっぽの痕跡を持った人間は出ませんでした。
そこまで思い出して、常和氏がずっと生霊を飛ばし続けることができたのは、呪術家系の遺伝的な能力であり、その能力の一変形で、戦時中もたった一人の生き残りとして生還することができたと考えることもできることに思い当たりました。
それでなくとも、息子の一郎君自身が霊力の化け物みたいな人間ですし、その息子の一郎君に、生霊となって何度も喧嘩を売ったのですから、戦時中も、生霊となった時も、しぶとく生き残ることができたのは、狗神筋が潜在的に持っていた呪力の賜物だったのかと考えれば納得が行きました。

ただ、一郎君としては、母親と一緒になって自分を逆恨みしたことは、いまだに理解できずにいます。

「一郎が生まれたから、妻の高子は自分の方を見てくれなくなった。」

「一郎が生まれたから、夫は働かなくなった。」

逆恨み以外の何物でもありませんが、それでもまだ、常和氏は妻の高子さんに甘えていただけで、むしろ、彼の方が一郎君には好意的だったのです。

母の高子さんたるや、幼少期から彼に繰り返した虐待だけでなく、死ぬまで彼のことを恨んでいたフシがあったのです。

「一郎は裏切者よ。常和にやる金は一銭もない。」

高子さんのこの言葉は、離婚調停で一郎君が両親を公平に扱ったことから来ているのですが、祖父貴尚が築いた莫大な財産を無くしたのは、常和、高子夫婦が、無駄に使いまくったことが原因だったのです。

一郎君は、そんな両親を反省材料にして、大学卒業以降、自分の稼ぎだけで家族を養っただけでなく母の高子には仕送りを続け、財産は全て独力で築き上げたのです。

脱線しましたが、狗神筋については、被差別民であったとの推測もあって誰も話したがらない話で、おそらくもう存在しないと思います。

ですから、一郎君が父常和氏から聞いた狗神筋に関するお話は、伝説とは大分違ったものだったのですが、こんな形でも記録されることができたこと自体、奇跡のようなものなのでしょう。

もしかしたら、被差別民とも目されている狗神筋との関連により、辻野家の戸籍から高知県に関連する部分が削除されてしまったのかもしれません。

それより、散々迷惑をかけられた父でしたから、その妹の遺産約500万円をもらえたことが幸運だったと喜ぶことにした一郎君でした。