淡路島往復2千キロ車の旅編で予告した別編です。
私、京都府の京丹波町に、母の我儘で手に入れた末放棄された廃屋を1軒所有しています。
母が買った時点で家として登記されてから82年経っていたので、登記が明治28年になりますが、それ以前からあったもののようですから、明治を通り越して江戸時代からあったものなのかもしれません。
かやぶきの古民家で、母が買った時にトタン屋根をかぶせたのですが、昔の養蚕の器具や、農機具が屋根裏に放置されています。
シロアリも食いまくっているのですが、阪神淡路大震災も北摂地震も平気で、家としては現在もちゃんと立っています。






もう一軒も、もとはと言えば母の我儘で、私が中学生の時に、別荘が欲しいと言い出し、滋賀県と長野県に1軒ずつ別荘を買ったのです。
滋賀県の別荘は、私が大学生になった時に売ったのですが、何年か前に見に行ったら、既に取り壊されて新しい大きな別荘が建っていました。
今回見に行った長野県某町、某山麓の別荘も、結局5年ぐらいしか所有していなかったのですが、元は県が開発した別荘地で、当時は50軒ぐらい売り出されていたと記憶しています。
県が開発しただけあって、上水道と排水路は確保されていましたから、とりあえず生活には困りませんでした。
確かに夏は涼しくて快適でしたから、毎年避暑に行って、大学受験の勉強を、涼しい所ですることができたというメリットはあったのですが、大学入学以降は、毎年避暑というよりも家の手入れに行っていたようなもので、いろいろなところが傷みますから、ペンキ塗りやら壁の補修やらで、余り休んだ気にならなかった記憶があります。
結局夏2か月ぐらいしか使い物にならない物凄い金食い虫でしたから、私が大学を卒業した時に嫌になった母が売り払ったのですが、確か1千万近い値で買って、400万で売った記憶があります。
この別荘、私一人だけでですが、母の命により真冬に見に行ったことがありました。
この時は、何度も命の危険を感じました。
まず、真冬で積雪していましたから、別荘地の入り口から300メートルぐらいで通行止めとなり、別荘まで約3キロぐらい歩くことになったのです。
着いたのが夕刻で、日没後でしたから、雪明りはあったものの、暗い中を歩いて行ったのです。
今なら便利なヘッドランプがありますが、当時はそんなものはなく、小さな懐中電灯を持っていただけでした。
しかし、私夜目が利きますから、懐中電灯は別荘に着くまで全く使いませんでした。
そして、これは命の危険ではありませんが、歩いていたら、目の前にヤマドリが飛び出して来たのです。
まあ、向うの方が驚いたのでしょうが、感情欠陥の私でも、珍しく驚きました。
雪が舞う中別荘にたどり着くと、幸い電気も水道も使えましたから、一息ついて、2階のベランダに出てみました。
何気なく空を見上げると、先ほどまで雪が舞っていたのが嘘のように、晴れ上がって満天の星だったのです。
これは、単純に感動しました。世の中にこんなきれいな星空があるのだと。
67歳になる今まで、この時よりもきれいな星空は見たことがありません。
これで安心してぐっすり眠ったのですが、翌朝がこれまた驚愕でした。
起きてみたら、何と吹雪だったのです。
別荘に居ても何もすることはありませんから、仕方がない帰るかと、滞在12時間で別荘を後にしたのですが、この時の私は、奇跡的な運に恵まれました。
まず、別荘をスタートして100メートルぐらい進んだ時、吹雪ですから前がほとんど見えなかったのですが、何気なく立ち止まって足元を見ると、道路が崩れていたのです。
あと一歩踏み出していたら、まあ、死にはしなかったでしょうが、数十メートル雪が積もった崖を滑落することにはなったでしょう。
二つ目は、車まで戻ると、車の形がうっすらわかるぐらいに雪が積もっていたので、半分掘り出すような感じで除雪したのですが、幸いエンジンも一発でかかりました。
それからが三つ目の幸運なのですが、何とその車、ケンメリスカイラインで、車自体は大変いい車だったのですが、タイヤが全くのノーマルつまり夏タイヤ、しかもそのタイヤも5部山ぐらいしかなかったのです。
当然スリップしますが、その辺は、地形を記憶する特技を生かして、上り坂になる地点は、ここら辺までこのスピードでいけば、惰力で何とか登れるだろうとか、このスピードで行けば、次の急カーブも曲がり切れるだろうとか、冷静に考えつつ慎重に運転し、無事下山できたのです。
山の麓にあったガソリンスタンドで給油した時、屋根に大分雪が積もったままでしたから、店員に聞かれました。
「兄ちゃん、雪積もってるけど、どこから来たんだい。」
「うん、あの××山の上の方から。」
その店員、私の車のナンバープレートとタイヤを確かめた後呆れていました。
「大阪から来たんだろうけど、今○○○町でノーマルタイヤで走ってるドライバー一人もいないぞ。」
でも、何とか無事帰って来ることができました。
それで今回、タイムサービスの超特価で長野の鹿教湯温泉に宿泊するついでに、その別荘がどうなったのか見に行ってみました。
確かこの辺だったなあとまずはグーグルアースで見たのですが、木が茂ったためか発見できませんでした。
それで当時の記憶を頼りに行ってみて、発見はできたのですが、これこそ廃墟になっていました。

斜面に建てられた2階建てでしたが、壁には穴が開き、2階のバルコニーは崩落し、家全体が傾き、倒壊寸前の悲惨な状況でした。

恐らく売った後、全く手入れされていなかったものと思われます。


1階に玄関があって、浴室とトイレも1階にあったはずです。
この建物、確か昭和48年に建てられていますから、51年しかたっていないのです。
京丹波が登記から129年たっていますから、古くてもしっかり建てられたものは今でもちゃんと立っているわけです。
また、もう一つショックだったのは、私は別荘の周りに、アカボシシャクナゲ、キリシマツツジ、銀露梅、金露梅、などいろいろな植物を植えたのです。
買い取った人がみんな移植したわけではないと思うのですが、売った時点でかなり育っていたのに1本も残っていませんでした。
正直に言います。
別荘なんて買うものではありません。
そんなお金があったら、ホテルに泊まった方がよほどリーゾナブルです。
そのことが再確認できた今回の訪問でした。