先日、「できること、できないこと、できたら困ること?」ってふざけた題名で投稿しましたが、考えてみると、私、できたら困ったことは、他にもあるのです。
先日の投稿にも少し触れましたが、私、超人的に丈夫な肉体を持っています。
これ、信じてもらえないでしょうが、臨死体験の時に、神様としか言いようがない存在から、「お前はこのまま帰したら直ぐに舞い戻ってくることになるから、普通の人間よりも丈夫な肉体をあげよう。」と言われたのです。
当時2歳ですから、何を言われたのか、その時は理解してはいなかったのですが、確かに毎晩のように母から殴る蹴るの暴行にあっていましたから、確かにこのまま戻ったらまた三途の川飛び越えて帰って来ることになりそうだなとは理解できました。
それで、結果的には、神様の言ったとおり、母の殴る蹴るの暴行にあっても、怪我一つしないだけでなく、ほとんど痛みもない幸せな肉体になりました。
ただ、その時一つ注意されたのです。
「自分で自分を傷つけたら、ちゃんと怪我するからな。」
はて、そんな馬鹿なことするもんか、ありえねーと信じなかったのですが、13年後にその意味がわかりました。
中学2年の時だったか、体育でサッカーをしていて、一人でややっこしいドリブルの練習をしていたら、ミスして左足で思い切り踏みつけるような形で、ボールの上に乗ってしまったのです。
当然こけます。
いや、こければよかったのです。
ところが私、こけまいと踏ん張ってしまったのです。
この時に起きた現象について、単純に言えば、左足がボールの上に乗ったので、このままだとこけますから、こけないようにと右足で踏ん張ったのです。
ただ右足で踏ん張っただけだったら、何も起こらなかったというか、こけずに済んでめでたしめでたしだったのだと思いますが、右足を踏ん張った位置が、こけかけている左足と交差する位置だったのです。
つまり、右足で左足に足払いをかけるような格好になってししまったのです。
普通の肉体だったら、左足をひっかけてこけただけで済んだのだと思います。
しかし、神様の言うとおり、普通の人間よりも丈夫な肉体であったところが災いしました。
現象的にも、自分の右足で自分の左足を蹴っ飛ばしたわけで、「自分で自分を傷つける」行為になってしまったのです。
その結果、自分で蹴っ飛ばした左足は、下腿骨である脛骨腓骨の二本とも見事に折れてしまったのです。
しかも、細い方の腓骨は単純骨折だったのですが、太い方の脛骨は、右足で蹴った位置でぐしゃっとつぶれており、複雑骨折までは行きませんでしたが、手術が必要な状況になっていました。
担当した医師は、「普通に転んだ程度で2本とも折れるのは稀だし、特に太い方の脛骨がバラバラになるのは信じられない。」と話してくれました。
ただ、幸いだったというか、単純に私が鈍感だったのか、痛みは大して感じませんでした。
顔色も悪くなかったとのことで、保健体育の教科書の記述「骨折したばあい、顔面蒼白になる。」は嘘だと病院に運んでくれた体育教師が笑っていました。
ところが、病院に運ばれて、足を引っ張って整復しようとしたら、骨折部位周囲の組織を傷つけたのか、途端に痛くなり、翌日午後に手術を終えるまで、痛いままでした。
結局、手術でステンレスパネルで脛骨を固定し、半年たってそのパネルを取り除く再手術をして、普通に運動ができるまで復活しましたが、全身麻酔で2時間半かかった手術が完全にはうまくいかなかったらしく、左足、わずかに右に向いた状態で固定されました。
自分自身を傷つけたこの例の他にも、踏ん張ったら木の床に足の形の穴が開いたこともありました。
これ、やろうと思ってもできることではないのですが、明治生まれで「聖中心道肥田式身体強健術天真療法」という身体鍛錬法を考案した肥田春充氏は、簡単にできたそうですから、何か通じるものがあるのかもしれません。
私はその鍛錬法を試したことはないのですが、興味のある方は、調べてみてください。

※映像は、今日の那須塩原です。晴天ながら雪も舞う強風で、サイクリングは大変でしたが、ニューの自転車、18段変速が効果を発揮し、上り坂向い風でもそれほど苦労せずに走れました。最初は無用の長物とばかにしていた18段変速ですが、優れものです。