パート4です。

トヨタソアラ、スポーツカーではなく、スペシャルティーカーなる変なジャンルに分類されていましたが、2年半ぐらい乗った時に、たまたまカー雑誌のヤナセの宣伝の懸賞に応募したら、当選して「メルセデスベンツ」というカラーで文庫版の本が送られてきました。
これ、ベンツの哲学や他の車との差、安全へのあくなき挑戦といったことを詳細に記したものでしたが、読んでみて国産車と哲学がそんなに違うのかと驚いたものです。
すると、懸賞に当選した人には声をかけていたらしく、本が届いて2か月後ぐらいでしたか、ヤナセのセールスマンが我が家に来ました。
私、仕事でメンタルトレーニングの教官を務めるにあたって、自分自身の目標設定を、いい家と車を手に入れることにしていたのです。
そして、セールスマンが来る2か月前ですから、丁度本が送られてきたころ、積水ハウスの注文住宅を建て、第一の目標を達成していたのです。
そこで、はからずも車が来るのですから、これもメンタルトレーニングの効果の一つであるシンクロニシティーであり、引き寄せ効果であったのだろうと思います。
そのセールスマンO氏、後にベンツを日本一売った伝説のスーパーセールスマンになった人だったのですが、年齢は私より2歳上ぐらいで、「いい家だなあ。」とつぶやきながら、我が家を見回していたので聞いてみると、彼も積水ハウスで家を建てたばかりだったことがわかりました。
そして、意を決したかのように、こう聞いてきました。
「失礼ですが、年収はおいくらぐらいでしょうか。」
確かに失礼な質問かもしれませんが、私、精神的なゆとりもできていましたから、笑顔で正直に答えたところ、彼の答えがまた衝撃的でした。
「あっ、買えるわ。」
この言葉には思わず夫婦で顔を見合わせて笑ってしまいましたが、そこから本気で売り込んできて、次の日曜日に宇都宮の販売店を訪ねることにしました。
後年、彼が引退する時になって、最初に我が家に来た時に落ち着かなかった理由を話してくれました。
彼、メルセデスベンツを自分より年下の人間に売ったのは、私が初めてだったのです。それで、どうにも勝手がわからなかったのだそうです。
さて、宇都宮の販売店に着くと、丁度運ばれてきたばかりのメルセデスベンツ190E(W201)が1台ありましたから、その場で仮ナンバーを付けて試乗させてもらえることになりました。
私、それまでもその後も、試乗して感激したのは、この時のこの車1台だけです。
まず、ボディーの剛性が、ソアラなんて比べ物にならないほど高く、雲泥の差だったのです。
当然、ドアーもしっかりと溶接されており、風が吹いたぐらいでずれることは絶対なさそうでした。
ステアリングも、サスペンションも、しっかりしていて、車の挙動を確実に伝えますし、ドライバーの指示にもしっかり応えてくれました。
わざと舗装の凸凹を選んで走ってみて、その時のショックの吸収ぐあいにも感心を通り越して感激したのです。
素晴らしいの一言でしたから、宇都宮市内を5分ぐらい試乗して販売店に戻り、車から降りる時に、助手席のセールスマンにこう伝えました。
「これ、買うわ。」
セールスマンも試乗している時の私の感想を聞いて、そこまでわかる人が居たのかと驚いていましたから、喜んで所長に交渉して最大限の値引きを引き出してくれました。
私の回答どおり、試乗したその車を買うことになったのですが、えんじ色と言うのか、ワインレッドと言うのか、正式にはバロロレッドという名前だそうですが、変わった色の車が、記念すべきメルセデス最初の1台になったのです。
2リットルの4速ATでしたが、良く走りましたし、燃費も市内でリッター10キロ、遠出すると13キロぐらい行きました。
しかし私、車の写真には全く興味がなかったらしく、記念すべきこの車も、その前と後の車たちも、ほとんど撮影していませんでした。
どんな車だったのか、興味を持った方は、ウィキペディアを検索してご覧ください。

さて、ベンツとアルトの2台体制になっても私がアルトを運転していて、アルトで、北は山形から南は大阪まで走り回りましたが、走っているうちに感じました。
高速でも、楽に100キロまで出ますし(当時は軽は80キロ制限でしたが)、シティよりも元気よく走るけど、ボディはベコベコだし、大きなでこぼこがあるとボディー全体がたわむのがわかるし、ぶつかったら死ぬなと。
そんなこと考えていたら、家の近所で元日の夜だったか、飲酒運転のセドリックにぶつけられた軽自動車が空を飛んで街路樹に貼り付けになり、乗っていた親子4人が全員死ぬ事故が起きました。
いくら自分が注意していても、こんなことになると死ぬのはこちらですから、命あっての物種で、買い替えることにしました。
その時妻も、あなたがアルトで私がベンツは体裁悪いから、私にフォルクスワーゲンゴルフを買ってちょうだいと要望がありましたので、当時ヤナセで扱っていたゴルフ(2代目19E型4ドア1.8リットル)を買うことにしました。
フォルクスワーゲンゴルフ、もう故人になられましたが、元レーサーの自動車評論家徳大寺有恒氏が、自動車評論家としてスタートするきっかけになった車とほめていましたが、メルセデスとはまた違った哲学を感じさせる車でした。
良い点は、ボディーがメルセデス同様しっかりしていること、シートが、固いけど長距離運転しても疲れないこと、土砂降りの雨とかひどい条件下で運転する場合、メルセデスよりも視認性や安定性に優れていたことです。
悪い点は、うるさいこと、燃費は1.8リットルの3速オートマのせいか、190よりも少し悪いぐらいだったこと、操作系が全体に重かったことです。
特にうるささは意外なストレスで、サニーのディーゼルよりもむしろ体感的にはストレスが大きかった記憶があり、大阪まで運転したとき、折角疲れないシートなのに、うるささのストレスで疲れたのです。
まあ、妻は自宅周辺ちょこちょこ乗りですから、全然気にならなかったようですが、妻には別の原因でゴルフにけちがつくトラブルもありましたし、フォルクスワーゲンがヤナセとの提携を打ち切ったこともあり、2年で妻の車をゴルフからBMW320i(2代目3シリーズE30)に買い替えました。
BMW320i、当時六本木カローラと言われた車ですが、ゴルフより一段格上の車です。
しかし、格が違うものの、値段の分だけいい車かと言われると、そうとも言えませんでした。
うるささはないのですが、シルキー6との異名をとった直列6気筒エンジン、回転の上がり具合の滑らかさがシルキーで、いい音もしたのですが、燃費の悪さには驚きました。確か190と同じ4速オートマ(3速だったかも)だったと思うのですが、私がエコランしても、最高リッター8キロで、妻だと6キロ台でした。
すると、販売店の所長に驚かれました。
「えっ、8キロも走るのですか。ほとんどのお客さん、5キロ台ですよ。」
まあ、シルキー6を楽しんだらそうなるでしょう。
それよりも悪かったのは、シートを調整してベストの運転姿勢を取ろうとしたら、頭が天井に触れたのです。
これ、BMWを買った2か月後に販売店の所長がドライバートレーニングに招待してくれたので、その時に質問したところ、こんな答えが返ってきました。
「3シリーズは、ドイツ(西ドイツ)人ドライバーの90%に適合するように設計されていますから、胴長短足の日本人やイタリア人には適合していないのです。まもなくデビューする次のモデル(E36)では、そのような人たちにも適合するように改良していますので、ご期待ください。」
確かにその通り、次のモデルではちゃんと改良されました。
BMWは、メルセデスと比較してしまうとあまりいいところのない車ではありましたが、しゃれていたことと、販売店がすぐ近くにあってちょっとした相談もできたこと、所長と仲良くなったことによりいろいろ無理を聞いてもらえたこと等で、のべ15年で、3シリーズばかりでしたが、4台乗りました。
2台目は3代目の3シリーズ(E36)だったのですが、シートが改良されて、日本人の私でも頭が天井に触れなくなったのは良かったものの、全体にかなり安っぽくなっていました。
特に、車載工具の質の落ちたことには仰天しました。
かと言って、性能が悪くなったわけではなく、むしろ普通に乗るには燃費も9キロ台に改善されていましたし、エンジンは1.8リットル4気筒でも普通にいいエンジンでしたし、余計な所にかかっていたお金を、基本的なところにかけるようにした、変な言い方をすると、メルセデス的に改良されたと言うべきでしょう。
最初の車以外は、すべて最廉価番の318iでした。
メルセデスに共通の運転感覚があるのと同様、BMWにも共通の感覚がありました。
メルセデスがとにかく疲れない車だった要因は、道路や車の状況を適度に伝えることでしたが、BMWは、道路や車の状況を伝えすぎて疲れる車でした。
私が神経質というのか、感覚が鋭敏すぎるのでそうなっただけなのですが、路面状況が悪くなると、どのタイヤがスリップしているとか、見事に伝わったのです。
ですから、疲れるのでBMWでは、北は岩手、南は石川県どまりで、それ以遠は全てメルセデスを使いました。

当時のメルセデスベンツ、素っ気ないほど何もついていない車で、最初の190Eたるや、エアコンとラジオしかついていませんでした。
ABSも当時は純正装着ではなく、3年後に同じ190で、ABS、CDオートチェンジャーからサンルーフまでフル装備の特別仕様車の移動展示車を、件のセールスマンO氏の好意で破格の値段で手に入れることができましたら、しっかりABSの効果も実感しました。
島根県まで仕事で出かけた時に、国道9号線の緩い左カーブで、何故か右側側道に信号があったのでそちらに目が行ったら、目の前の信号が赤で車が停車していたのです。
これ、今までの他の車なら絶対追突したと自信を持って言えますが、思いっきりブレーキを踏んだところ、ガガガガとABSが働いて、10センチぐらい手前で止まったのです。
まあ、前提として思いっきり急ブレーキが踏めたから止まれたもので、その点では、BMWを買った時に販売店の所長が招待してくれたドライバートレーニングで、急ブレーキやスピン制御のトレーニングをさせてもらえたことが役立ったのです。
しかし、信号で止まっていた前の車のドライバーはびびったことでしょう。
いくら小ベンツと言われた190Eでも、島根県は全国一メルセデスの少ない県ですし、ベンツイコールやくざのイメージが当時は大変強くありましたから。
小さい車でもSクラス並みの造りを、がスローガンの190でしたが、上には上があるもので、190を点検に出した時に、今でも名車と言われる当時のミディアムクラスの240E(W124)を代車として持ってきてくれたのです。
これも本当にいい車でした。
車としての基本性能はもちろん、大きめのシートのかけ心地が絶品で、買い物にちょこっと一緒に乗って行っただけの妻も、この車はすばらしかったとほめたぐらいでした。
その経験もあって、2台の190の後、ミディアムクラスからEクラスにチェンジしたW124型の最終モデルの中で、2.2リットル4気筒エンジンを搭載した220Eステーションワゴン(220TE)に買い替えました。
この車も本当にいい車で、7年間で10万キロ近く乗りました。
すると、9万キロを超えたあたりから、サスペンションから異音がするようになり、それでも操縦安定性には全く影響がなかったのですが、当時、その車で北は岩手、南は兵庫県の姫路あたりまで出かけていましたから、妻が心配だから買い替えたらと言い出しました。
ここでニューモデルの2代目Eクラスの240E(W211)に買い替えたのは失敗だったと後悔しています。
メルセデス、いくらでもリファインでき、90万ぐらいかければ、サスペンションを新品にすることもできましたから、そうして乗り続けたら良かったと今でも思います。
240E、角眼のミディアムクラスとは対照的な丸眼のでかい車だったのですが、ミディアムクラスメルセデスの良さをかなり失っていました。
この車と初代のCクラスあたりから、メルセデスもコストを考えるようにしたと言われていますから、要は質が落ちたわけで、余計に買い替えて失敗したと思いました。
でかくて、安楽で、パワーも、240と言いつつ2.6リットルV6エンジンを搭載した車ですからそれなりにあったのですが、220Eではコンスタントにリッター10キロ以上走った燃費が、一挙に9キロ台以下に落ちましたし、悪くはないがいいところもないって感じの車だったのです。
この車、特筆すべきは私が乗った車の中で、初めてカーナビが純正装着になった車だったのですが、DVDロム方式の今では完全に時代遅れの一品で、その案内のバカさたるや、バカーナビと呼ぶにふさわしいものがありました。
この車で初めて栃木から広島まで遠出したとき、面白がって高速を使わずに一般道を走って行ったところ、名古屋の先で、ナビの指示通りに行ったら、普通関ヶ原か鈴鹿峠を指示しそうなところなのですが、何故か国道421号線を指示したのです。
こんな道あったのかと思いながら進むと、2月の深夜で雪が降りだし、他に全く車も走っていませんし、心配になってきたら、途中でなんと冬季通行止めになっていたのです。
おかげで雪の中大きく戻って、養老関ヶ原周りで行くことになりましたが、京都までずっと雪が降っていて、京都市内も銀世界でした。
この時、途中の姫路でも仕事がありましたから、その夜は京丹波の家に一泊してから姫路市内を目指したのですが、この時もバカーナビを発揮して笑わせてくれました。
福崎から宿泊地の姫路の夢前に抜けるのに、なんと幅員2.3メートルしかない相坂トンネルを指示したのです。
このトンネル、その後全国的に注目されるようになった幽霊トンネルの一つとして有名になり、今やグーグルマップに観光名所として表示されるほどになっていますが、当時は、地元の人ですら知らないしまず通らないトンネルだったのです。
念のためサイドミラーをたたんでそろそろと通り抜けました。
このベンツのステーションワゴン2台だけで14年ぐらい乗ったのですが、その間にBMWの方は、320が1台、318が3台入れ替わりました。
つまり、ほぼ車検ごとに買い替えていたのです。
当然、それには理由があります。
最初の320iは、当時BMWに限らず問題になったのですが、エンジンのバルブを駆動するのにチェインではなくコッグドベルトを使用していると、滅多にないこととはいえ、ベルトが切れたのです。
そして、切れるとエンジンが壊れますから、コッグドベルトを定期的に交換してやる必要があるのですが、何と交換に20万ぐらいかかったのです。
最初の車検の時に、大丈夫と思いますが、念のために交換すると20万円かかりますと言われ、それなら買い替えるとなったわけです。
その後もBMWが長続きしなかったのは以下のような理由によります。
BMW、何故か自動車評論家諸氏には評判が良いのですが、実際にオーナーとして乗ってみると、ベンツの方がとにかくいい車でした。
メルセデスベンツは、創業当時から「最善か無か」(Das Beste oder nichts)を社是としていました。
日本語では?になりますが、要は、最善でなければ意味が無いというような意味で、徹底した品質追及、安全性追求を行っていました。
しかし、初代のCクラスと2代目Eクラス登場あたりから、メルセデスベンツもコストを考えるようになり、この社是は一時お蔵入りしていました。
それに対してBMWは、「運転の喜び」(Freude am Fahren)をスローガンにしていましたし、そちらはずっと続いています。
「運転の喜び」自体は、その通りであったなと思います。
つまり、BMWは、積極的に運転を楽しむべき車なのです。
事実、運転して楽しい車でもあったのですが、感覚が過敏なのは私の責任として、挙動を積極的にドライバーに伝えること自体はいいことだと思いますが、結果として、疲れたり、人によってはスピード出し過ぎてつかまったり、事故ったりしやすい側面もあったのです。
運転感覚以外に一番違うなと思ったのは、メルセデスは、新車の時よりも2万キロぐらい走行した時の方が調子も燃費も良くなるのです。
対するBMWは、新車の時が一番で、半年もすると、あれっこんなはずでは、と思うことが多くなり、メルセデスのように良くなりませんし、車検で買い替えるのがベストだったのです。
対するメルセデスは、車検を受けると、お金はかかりますが、新車の状態にかなり戻るのですが、BMWは、経年劣化という言葉がそのまま現実を表していました。
また、メルセデスの方が、常に燃費も良かったのです。
流石に車体も排気量もでかい240Eは、BMW318iといい勝負でしたが、190も、220Eも、常にBMW318iよりもよい燃費でした。
ですから、もしメルセデスとBMWを本気で比較したいなら、実際のオーナーに、それも私みたいに両方持っているオーナーに聞かないと、こんな実態まではわからないでしょう。

BMWを約15年乗った時に、スーパーセールスマンになっていたヤナセのO氏から、BMWを対象にした販売キャンペーンがあり、特別に値引きして下取り金額も優遇しますから、318iを2代目のCクラス(W203)に買い替えませんかとの申し出がありました。
妻もBMWにいい加減飽きて来たところでしたし、ベンツの方がほぼノートラブルであったのに対し、BMWの方は、トラブルが続発したのです。
2台目の318iは、息子が電柱にぶつけて廃車にしました。
これ、不思議な事故で、歩道の手前の花壇?が1.5メートルぐらいの縁石で囲まれていて、そこに乗っかるとタイヤが浮いてしまってブレーキが効かないまま電柱にぶつかる道路の形状の欠陥もあったのですが、息子はそれ以前にハンドルを取られてそちらに行ったと証言していましたし、事情聴取した警察官がどうしても居眠り運転にしたかったらしく、変な尋問をして、その時にラジオで流れていた曲も覚えていると息子と喧嘩になったりしていました。そこで私は、迷惑をかけたからと事故現場前の家に挨拶しに行ったら、「死ななくて良かったですね。そこで何人か死んでますから。」と言われてぞっとしました。それでなくとも霊感が鋭くて幽霊見えまくりの息子ですから、呼ばれたのかも知れません。この事故で、エコノミー車両保険だと補償されず、ローンが200万残っていたのを払うことになりましたから、それ以降車両保険は一般タイプを契約することにしました。
他にも、自転車にぶつけられたり(妻が駅に息子を迎えに行った時に停車していたら自転車が突っ込んできたのであって、自転車にぶつけたのではありません。)、公道を100キロを超えるスピードで走って来た車と接触したり、新潟からの帰りに会津から藤原に抜ける山王峠で路面が凍結していてスピンしたり、これ、私のテクニックがなければ、谷に落ちていましたが、半回転したところでコントロールし、後ろ向きのまま20メートル滑って、どこにもぶつからずに止まりました。後ろ向きでもABSが作動することを発見しました。
ちょこちょこトラブルや事故に遭っていましたし、実はその時に懇意にしていたBMW販売店の所長が、車をめぐる客とのトラブルで辞めてしまい、人間のつながりも切れたので、メルセデス2台にすることにしました。
車は、2代目CクラスのC180コンプレッサーというスーパーチャージャー付エンジンのセダン(W203)だったのですが、ベンツに乗り換えた結果は、妻の一言が如実に物語っているでしょう。
「ベンツの方がはるかにいい車だわ。今までBMWに乗っていて損した気分よ。」
私の感想としては、昔のスカイラインのボディーを強化して、安全性も高めたような車で、普通のセダンながら、その気になれば暴走族にもなれるし、峠も攻められる車でした。
逆に言えば、BMW318iでそこまでしたら、面白いかもしれませんが、本当にテクニックのあるドライバーでないと危険です。それを、このCクラスだと比較的安全にできたわけです。
E240よりも楽だし燃費も良かったので、BMWではせいぜい金沢までだった遠出も、C180では京都まで楽に行けましたし、燃費もE240よりは良かったので、遠出はこちらも使うようになりました。
しかし、メルセデス2台体制になって4年後ぐらいでしたか、子供たち3人が全員我が家から巣立っていきましたから、2台持つ意味がなくなり、特に大きなステーションワゴンを持つ必要がなくなりましたから、末っ子の次女が横浜の女子大に進学したときに、長女と一緒に住むことにしたアパートに引っ越しする大量の荷物運びを最後に、Cクラスセダン1台だけに減らしました。
この時、2台を処分して新しいCクラスを1台買ったのですが、それならいろいろ使えるE240を残しておいた方が買い替えるよりも経済的だったなと後悔しました。
その後、Cクラスのステーションワゴンを2台乗り継ぎました。

これ、その2台目です。
そして、スーパーセールスマンO氏から最後に買ったのが、歴代最高価格のEクラスセダンのE300(W212)でした。
この車、定価は何と780万円もしたものだったのですが、丁度マイナーチェンジ直後の前モデルの売れ残りだったため、超値引き500万で買えたのです。
O氏とはセールスの極意のお話もできたのですが、彼は、物凄く当たり前のことを徹底していただけでした。
日本一メルセデスを売ったセールスの極意は、「お客様が何を欲しているかを見抜いて、ひたすらそれを満たしてあげることです。」だったのです。
私は、本当にお買い得なら買う客でしたから、彼は常にリーゾナブルプラスアルファで押してきましたし、彼がノルマに困っている時は、最初のCクラスの時がそうだったのですが、お助けマンにもなれましたから、ウィンウィンの関係でした。
ちなみに、メルセデスを日本一売った彼でも、普通の個人の顧客に売った台数としては、私の9台が最高だったそうです。
他は、実際は個人で使っていても、法人名義で、税金対策兼ねて買う顧客がほとんどだったと話してくれました。
メルセデス、厳然たるヒエラルキーがあり、Sクラスは別にすると、普通のビジネスマンに望みうる最高の車はEクラスなのです。
そのEクラスの中でも、E300より上は、パワーも装備も一味違うことを、このE300で痛感しました。
これも妻の言葉が物語っています。
「今までのEクラス安物だったの。」
この車で一番良かったなと思ったのは、インテリジェントライトシステムで、対向車の有無やハンドルの切れ角まで判断して、自動的に照射方向や角度を調整してくれるものでした。
ライトをオートにしておけば、切り替える必要もなく、勝手に切り替えてくれる優れものでした。
妻が笑いましたが、この車に買い替えてから、私がヤナセに車を見に行くことがぱったりなくなったのです。
それだけいい車でしたし、そのいい車をお得に買えましたから、本当に満足していたわけです。

東日本大震災の3か月後、全村避難で無人となった妻の故郷を訪ねた時の写真で、何とE300の写真はこれしかありませんでした。

7年間、ほぼノートラブルで乗って3回目の車検を受けようかなと考えていたら、何と妻と近くのスーパーに買い物に行った時に、うんともすんとも動かなくなったのです。
丁度日曜日の18時頃で、まだヤナセに人が居たので電話をかけて聞いたら、車両保険もサービス対象でしたが、JAFにも入っていましたから、とりあえずJAFを呼んで対応してもらってくださいとなりました。
何と40年間も会員を続けて2回目の利用、しかも最初の利用は、会員になって1年目の22歳の時に京都に帰省してフェアレディーzに鍵を閉じ込んだ時でしたから、39年ぶりに利用したら、どうもバッテリー上がりらしいとのことでした。
私、車には詳しいので、うんともすんとも言わないからにはバッテリーが一番怪しいことは見抜いていました。
しかし、前回の車検の時に、1クラス上のパナソニックのバッテリーに変えていましたから、バッテリーそのもののトラブルではなく、上がる原因の方が気になったのです。
とりあえずその場は、JAFのサービスカーとブースターケーブルでつないでもらったらエンジンがかかりましたので、家に帰って充電し、翌日ヤナセに電話して代車を用意して取りに来てもらうことになりました。
ヤナセ、月曜が休みで代車の用意もありましたから水曜日にCクラスステーションワゴン(4台目W205)の代車が来ました。
なお、バッテリーあがりの原因は、エンジンの電動冷却ファンの故障でファンが回りっぱなしになったことが判明し、バッテリーには異常がありませんでした。パナソニックのバッテリー、3年間保証もありましたし、優れものです。
ファンを修理すると7万近くかかりますし、運転してみると、代車のCクラスもなかなかいい車でしたし、丁度60歳で退職金も入ったところでしたから、車検を取らずに買い替えることになりました。
30年お世話になったスーパーセールスマンO氏が、惜しまれながら引退した後亡くなったのは大変残念でしたが、新しく担当となったK氏との交渉は、流石に時代も変わったし、O氏のようなスーパーセールスマンではありませんから、強気の値引きもできませんので、値引きはあまりありませんでした。
それで検討の結果、4台目Cクラスの中から、ディーゼルモデルのC220dステーションワゴンに決めました。
何故ディーゼルにしたかですが、普通のガソリンエンジンモデルとの差額が25万円ぐらいですが、エコカーで税金の優遇措置もありましたから、燃費だけでは元は取れませんが、思い切ってディーゼルにしたのです。
買い替えてみると、確かにディーゼルらしい音はしますが、昔と違って言われなければわからないレベルですし、クリーンディーゼルをうたうだけのことはあり、黒煙も出ませんし、何と言ってもターボディーゼルエンジンの強大なトルクに驚かされました。
2.2リットルですが、ガソリンエンジンだと4リットル並みのトルクがあるのです。
ですから、今まで乗ったどの車よりも速い車で、下手なスポーツカーをぶち抜くぐらいの加速もありました。
特に高速道路での中間加速は、ガソリンエンジンではまねのできないものがありました。
事実、ドイツのアウトバーンでは、ディーゼル車が優勢だそうです。


これまた、写真はこれ1枚しか見当たりませんでした。

メルセデス、2台目Cクラスあたりから、メルセデスケアという保証システムを導入し、最初の車検まではお金がかからないのです。
それが、5年まで延長できるようになりましたから、この車は延長して5年乗り、2回目の車検も受けました。
ところが、妻が、車検の時に代車で来たCLA180のシートが気に入ったから、買い替えないかと言い出したのです。
タイムリーなことに、不動産投資で新車が即金で買えるだけの収益も出ていました。
普通は、買い替えは車検取る前に言い出すものなのですが、丁度コロナ渦もあり、車の流通にも異常を来たしていましたから、セールスマンも売る車が無くて困っていて、今回は積極的には勧めて来なかったのです。
しかも、丁度Cクラスのモデルチェンジが重なり、ニューのCクラスは、半導体不足だけでなく部品の流通にも支障が生じており、生産が全体に遅れており、納車が何時になるかわからない状況だったのです。
そんな状況なのに買い替えの商談をするのも無謀だったのですが、この時奇跡が起きました。
何時納車になるかわかりませんとの前提の上、ニューのCクラスステーションワゴンで、前モデルと同じC220dを注文しましたが、たまたま指定したモデルが、全くのノーマルで、色はホワイトと一番入庫して来そうなものにしておいたところ、2週間後に1台だけ入荷したのです。
これ、最初は早くとも半年後ぐらいを覚悟していましたから、担当のセールスマンK氏もまさか入荷するとは思っておらず、間の抜けたことに、他県のヤナセディーラーから栃木に1台入ったようだが、こちらに回してくれないかと連絡が来て、気付いたというお粗末でした。
お陰で、6月初旬に注文して、ラッキーにも7月10日の大安吉日に納車されました。
今回初めて販売店で納車してもらいましたが、同日に販売店での納車は私を含めて3組あったそうです。


笑われるかも知れませんが、私、この車が、自分が今まで手に入れた車の中で、初めて格好いいと思った車なのです。





暗い時にドアーを開けようとすると、スリーポインテッドスターの足元照明が灯ります。

この車、何と700万円で、前のモデルが550万円でしたから、モデルチェンジで150万円値上がりしたことになります。
しかし、安全装備が更に追加されたとともに、48ボルトのリチウムイオンバッテリーをつないだセルモーターをエンジンに直結して充電と電池駆動もできるようにしたマイルドハイブリッドになっていますから、高くなった分良くはなっているのです。
スタートで電池駆動も併用しますから、前モデルよりも速く、C220dと車名は変わらないもののエンジン排気量は2リットルに縮小されているにもかかわらず、全速度域で前モデルよりも速くなっていました。
燃費も、ハイブリッド併用の効果もあり、今まで1万1千キロ少々走った平均燃費がリッター16.35キロ、前モデルが4万1千キロ走った平均燃費が13.82キロでしたから、大きく改良されています。
ただ、この安全装備、特に緊急ブレーキと短距離サポートブレーキは、飛び出しや踏み間違いの際に急ブレーキがかかるものなのですが、誤作動されると心臓に悪いのです。
最初に誤作動したのが葬儀場の前で、幽霊を探知したんだと笑い話になりましたが、本当に何が起きたかと思いましたし、メルセデスの緊急ブレーキ、猛烈に効きますから、20キロぐらいしか出ていなかったとは思いますが、ほぼその場で止まりました。
何かに衝突したかのような唐突な止まり方でしたから、後続車が居なかったこともあり、一度バックして何か轢いていないか確かめたほどでした。
ヤナセに笑い話半分文句を言いましたら、時々あるとのことで、何と今月、2023年7月17日になってメルセデスベンツから、プログラムを更新して誤作動に対処しますとのリコール通知が来ましたから、7月27日に宇都宮まで出かけて対処してもらってきます。

メルセデスケアもありますから、後4年はこの車に乗りますし、その時私はもう70歳になっていますから、もう買い替えることはないかと思います。
何かありましたら、また書きたいと思いますが、とりあえず車のお話はこれで終わります。