正月早々変なテーマですが、昨年末に2日にわたって触れました、老いについての私の母の一生と関連する面がありますのであえて考えてみることにしました。
私の母も妹も、大学まで進学しています。母は卒業はしていませんが、私の幼少期の知識源になるに十分以上の知識は持った人でしたし、勉強は、IQ160近い私といい勝負しましたし、音楽の面の才能も持っていて、私がヴァイオリンやピアノを手抜きしていたら、見事に見抜いて叱責されました。
しかし、二人とも、家事育児(妹には子供がいませんから、これは除きます。)について、知識だけはそれなりにあったのでしょうが、全くといってよいほどできませんでしたし、家計管理についても、母は完全に欠陥者で、妹もあまりほめられたものではありません。
その点私の家内は、高卒で、知識の点では最初こそ二人に劣っていたかもしれせんが、元々頭の回転が速く、何よりも実行力がありましたから、学びつつ実践する知行合一の精神でどんどん進歩していったのです。
だからと言って、大卒は妻に不向きと言っているわけではありません。両立している人も、いくらでもいるでしょう。
でも、私の家内、働かせても、気配りはありましたし、率先して動きましたし、そこらの大卒女性よりは、はるかに使えました。たまたまかも知れませんが、彼女の周囲にいた大卒女性、プライドだけは高くて、高卒だというだけで家内を馬鹿にしていた割には、仕事は如何にしてさぼろうかと考えているようなありさまで、使い物にならない人ばかりでしたので余計です。
それでいて、私が家内と結婚する時、「色仕掛けで落としたのよ。」とか心無い噂を流した人も多かったのです。

京大卒の私が、田舎の高卒の家内と結婚しようと思ったのは、一目見て将来結婚する相手だと見抜いたという他人には信じてもらえないような理由もありますが、何よりも私を大切にしてくれて、家庭の管理を安心して任せられる女性であったからなのです。それだからこそ、私も彼女を大切にしようと思いましたし、一方通行ではいけません。

私は、大卒だろうがなんだろうが、掃除、洗濯、炊事ができない女性は、人間としては一段劣ると考えています。
何故かといえば、衣食住に関する自分の身の回りの最低限の世話さえできない、言い方を変えれば、自己管理ができていないからです。
掃除、洗濯、炊事ができなくても、学歴を生かしてばりばり働いて、稼いで、お手伝いさんを雇って老後まで世話をしてもらえるなら、それはそれでよいと考えます。
しかし、掃除、洗濯、炊事ができないと、老後に大変な落とし穴が待っているのです。
私の母がそうでしたが、まず、掃除、洗濯、炊事が嫌いですと、老化によって体の動きが悪くなると、さぼりだし、すぐやらなくなります。それから、本当にできなくなり、体の方も動かなくなるのです。
何でもでき、かつ進んでやろうとする人間は、その分老化も遅れますし、老後に趣味を見出すことにも不自由しません。
これは、女性だけに限定した話ではなく、男女共通の問題です。

私は、決して男尊女卑主義者ではありません。
家内は、初めて私や同僚たちと集団デートした時、他の男性の同僚たちが、女性は働くよりも家庭に入ればよいと言ったのに対し、私だけが、女性であっても、本当に能力があるなら、男性以上に働いてもよいし、その機会は与えられるべきだ、と言ったことが印象深かったといいます。
それに、結婚後の私は、30代の一頃教育・研修部門に所属した時には家庭を軽んじたこともありましたが、家事参加についても、普通の男性よりは何でもできるし、やる方ですから、家内も、その面の不満も少ないといいます。
男性の常套句「仕事があるから。」という言い訳は、むしろ家事育児にかかわるのは面倒だから、仕事に逃げていることも多いと思います。女性も働いている現代では、むしろ禁句ではないでしょうか。
冷静に観察していますと、仕事(しかない)人間は、自分で自分の能力を限定してしまっているか、それだけの能力しかないかどちらかだと思います。
私は、能力はあると思いますが、出世は望みません。
途中で、努力して出世してもそれだけ報われるものではないし、どんな仕事であっても、自分がボスとなり、自分に代わる仕事ができる人間はいないような質の高い仕事をしていく方が面白いし、人生も豊かになると気づいたからです。
最も、皆が私みたいな生き方をすると、集団としては考えものでしょうが。
仕事は大切ですが、それだけが人生になっては、仕事の終わりイコール人生の終わり、燃え尽き症候群かその予備軍にしかなりません。
ばりばり仕事ばかりして、出世して、引退したら何をしたらよいのかわからなくなって、家事の手伝いも満足にできず、魂の抜けたようになって、呆けたり、熟年離婚されたり、奥さんにぞんざいに扱われるのは、自業自得だと知るべきです。

脱線しましたが、本当に言いたいことは、学歴よりも自分の生活をきちっとできるようにしなくては結局人生を通じて幸福にはなることはできないだろうということです。
また、学歴と家事能力は十分両立できるのです。実際、京大卒の女性で、仕事もできたので惜しまれつつ寿退社して、幸せな専業主婦になっている人もいますが、家事も、いや全てを得意として積極的に取り組む人でした。
中には、何の努力もせず全てできてしまう人もいますが、そんな人は、自分は何でもできて当然と考えて取り組むものです。
人間、その気になれば自分が思っている以上の能力はあるものです。

私は、自分の子供たちにはこう言っています。
「いくら学歴があっても、仕事ができても、自己管理もできないようでは人間として欠陥品だ。自己管理できる人間の方がむしろ上だ。それよりも、何でもできる方が上だし、かっこいいだろう。」
実行がともなっているからこそ、説得力のある言葉ですし、子供たちも素直に聞いてくれています。