『ジェロニモの十字架』青来有一・・・94点 | 『にゃんころがり新聞』

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   『ジェロニモの十字架』 青来有一 ・・・ 94点


 映画や漫画が出てきたために、文学は明らかに力を失ってきましたが、それでもやっぱり、映画や漫画が苦手とする部分があって、そのために文学はなくならないと思います。
小説の良さを十二分に引き出したような作品です。

 ストーリーテリングな面白さもあり、人間の醜さなどの深淵を垣間見せる奥深さもあります。

 ラスト、ジェロニモ叔父がどのように変化を遂げたのか、その予感だけで終わっていますが、100枚という長さではここまで書けば充分ということでしょうか。それとも、「変化」の結果を読者の想像にゆだねて終わっているところが良いのかもしれません。

 家族3代の歴史を語っているところが意欲作だと思います。一人称の僕を語り手にし、ジェロニモ叔父の不気味さや祖母の悲哀といったものがよく描けていると思います。

 新人でいきなりこれだけのものを書くには、相当時間と労力が注ぎ込まれてるんだろうな。

『ジェロニモの十字架』は『聖水』に所収されていますが、芥川賞をとるまで一作品一年以上かかって書いているようですし。

4作品収まってますが、一冊の本を出版するのに4年以上かかってます。

まさに努力の結晶ですね。


 『泥海の兄弟』、『聖水』を読んだあとに読み返してみると、この作品は処女作ということもあり、やはり技術的にはそれほどレベルは高くないと思います。

 というのは、一人称の「僕」が語り手なのに、「僕」はまるで三人称の「神」のように物語の隅々まで知っているからです。これなら、三人称でも良かったのでは? と思いもしました。


 意図的とは思えない同じような表現が何度か繰り返されるところも、拙いところだと思います。

「僕はなぜかその時~と思った。」

 このような趣旨の地の文が何度か出てきます。もう少し少なくした方が効果的だったように思います。


 とはいえ、技術的に拙いと思われる部分も、初々しさが出ていて、悪くない場合もあります。

 祖母の代から「僕」の代まで、なぜか不幸が連続して続き、僕に至っては癌になり、声を失うなど、物語を作りすぎているようにもとれる部分ですが、私は逆にこの作者の物語を作る才能が伸び伸びと発揮されているような気がして、好きです。


 おもしろいことに、青来さんの後の作品である「爆心」、「聖水」などの単語がこの小説内にすでに出てきています。


以下ネタバレありです。
<あらすじ>
 有一は癌に犯され、声帯を除去したため声を失った。そのあげく婚約者との結婚の約束もなくなる。

 有一の祖母は長崎に投下された原爆のために夫と優秀な息子を失う。敗戦後、祖母は捕虜収容所に配属されていた若く美しい男に言い寄られ、周囲の反対を押し切って再婚する。祖母は男に導かれるままキリスト教に改宗する。その時生まれた子供がアキテルで、洗礼名はジェロニモ。
再婚した男は祖母に内緒で祖母の土地を抵当にいれ、借金を作って若い女と姿をくらます。
 実は男は重婚で妻子のある男であり、収容所でも捕虜の目を釘で潰すなどの残虐な行為をしていたことが後で分かる。
ジェロニモは長ずるにつれ、愚かな人間に成長する。17歳のとき15歳の女子高生を妊娠させ、祖母に髪が抜けるほどの苦悩を与える。
 祖母は「死に場所を作る」ため、青来の墓の整備を左官屋に注文する。左官屋のもとで仕事をしていたジェロニモは、ある日、土からほとんど溶けかかった十字架を発見したため、青来の家は昔、キリスト教信者であったが、それを忘れているのではないか、ジェロニモの父が消えたあと、キリスト教を忘れたようになっているが、信仰を二度も忘れてはいかん、とジェロニモは母に大声で言う。それまでジェロニモが何をしても怒ったことのなかった母が、このときばかりは猛烈に怒り、以後衰弱して死んでしまう。

 有一は盂蘭盆に実家に戻ってきたジェロニモ叔父に腐りかかった十字架を見せられ、祈りなさいと言われるが拒絶する。そのときジェロニモ叔父に別の人格が出現したようになり、威厳に満ちた様子で「祈れば奇跡が起こる」と言われ、有一が祈ろうとすると、ジェロニモ叔父は意識を失う。後で意識が回復したジェロニモ叔父は、「だんだん俺の覚えていない時間が長くなっている。ばあちゃんは捕虜に酷いことをした父親に俺がだんだん似てくると言った。もうすぐこの俺はいなくなる、俺は神がほしい」と言い、死んだように眠り続ける。やがて眠りからさめたジェロニモ叔父は以前のような愚かなジェロニモ叔父ではなく、威厳に満ちた表情で「また帰る」と言い残し家を出て行く。


 浦上の地は昔、キリスト教信者が多かった。残酷な拷問で殺された人間が多くいた。路面電車は誰も待っていないのに停車し、ドアを開けることを繰り返している。精霊舟に乗れなかった死者の霊たちが、電車に乗降を繰り返しているのではないかと有一は想像する。昔、拷問で殺された人たちや、原爆で死んでいった人たちの霊が。この地にはそんな死者たちの憂いが満ちている。有一の体に声にならない虚(うろ)がひろがっているのと同じく、この地にも過去の残響に震える巨大な虚がひろがっているように思える。