病気と向き合うということは
その病気を受け入れるということ。
いい意味で諦めるということ。
理解されない社会で生きることも受け入れないといけない。
でも、これがなかなか難しい…。
見た目に分かる傷ならどれくらいの傷か、
どんな状態なのかを知ることもできる。
だけど、この見えない病気は
どこまでが自分の意思で、どこからが病気なのか
そして、どこが着地点なのかわからない。
何なら、本来の自分さえわからなくなってしまう。
自分を保つことさえ容易でない状態で、普通の生活をしなければいけないことが、どれだけ過酷かということも、見た目に普通だと当然わかってもらえない。
こんな思いを家族にだけは絶対にさせたくない。
その思いだけが私を突き動かす原動力だった。
なのに、今、息子が同じように自分の心と体と格闘している。受け入れようとする心と、受け止めきれない苦しさの中でもがいている。
私が私を受け入れるまでに、いい意味で諦めがつくまでに、どれくらいの時間がかかったか考えてみる…実は未だに受け入れてなんていない。理解もできていない。
こんな思いをこれから息子がするのかと思うと、耐えられなくなる。それも私よりずっと過酷な荷物を背負って…。
私に何ができるんだろぅ…。
今はまだ笑い話にできる状況ではない。
今はまだ七転八倒する時期なんだ。
なら、息子と一緒にのたうちまわりながら、
それでも前に進むしかない。
このブログも笑いながら書ける時まで進むしかない。必ずそんな時がくるんだから。
何が痛いって、優しい目をして
ありがとう…そう言われるのが
何より胸を締め付けられる。
頑張ってくれてありがとうは、私のセリフだ…。
