2014.01.28 イサク広場-ニコライ1世-☆St Isaac's square | 日本のド田舎でにわかヴィーガン生活 -Vegan based diet in northern Japan-

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できる範囲でゆる~くヴィーガン生活している30代(アラフォー)OLです。

前記事のイサク聖堂の正面には、イサク広場があり、ニコライ1世の騎馬像があります。

個人的には銅像とか全く興味ないんですけど、なんかヨーロッパにきた!ってかんじがしてテンションあがりました。いまさら!笑 


ニコライ1世はロマノフ朝第11代ロシア皇帝で、実は少し日本にも関係しているのです。


歴史の教科書にでてきた「日露和親条約」って覚えていますか?


私のようなおバカちゃんでも、「アヘン戦争」という言葉は、なんだか印象的で覚えているんじゃないでしょうか?


イギリスが「アヘン戦争」に勝利し、ヨーロッパの大国が本格的に東アジアに進出することを重視したニコライ1世が 日本に使節を派遣し、1855年「日露和親条約」を締結したのです。


政治家としては冷徹な専制主義者だったといわれていますが、個人としては人格者だったそうで、次のような話が残されています。


フランスの軍隊のお偉いさんが、ニコライ1世の長男(皇太子アレクサンドル)に拝謁を申し出た際のこと。


ニコライ1世は

「あの子を思い上がらせたいのかね?軍を指揮下におくあなたのような将軍があの小さな息子に敬意を表すようなことがあったら、あの子は鼻高々になるだろう。私は息子を 皇子として育てる前に、人間として育てたいのだ。」

と言って、申し出を断ったそうです。


また、「コレラの流行の際には コレラをものともせず病人の慰問に出かけたが、周りの人間はコレラよりも皇帝を恐れていた」なんて話もあり、もしかしたら、真っ直ぐで頑固すぎて周りに理解してもらえなかった悲しい人なのかもしれません。 いますよね、そういう人^^;


他に、ニコライ1世について他の方が書かれているブログを見たところ

「ニコライ1世はプーシキンを飼い殺しにし、プーシキンの妻ナタリヤを密かに追い回していたかもしれない皇帝」

とありました。。。


どんな人だったんだろう。笑


若い頃の肖像画を見る限り、けっこうイケメンだと思うんですが・・・!

いかがでしょうか?



歴史を知れば知るほど、深みにはまっていきますね。


私がここに書いているのは、主にウィキペディア、ときどき地球の歩き方、さらに他の方のブログ等からの情報なので、もし間違っていたらすみません。


残念ながら 文献を読むような人間ではないので・・・


でも歴史上の出来事って常に諸説あり、さらにはまた度肝を抜かれるような新説が出てきたりと、確かな情報ってあまりないですよね。


タイムトラベルして過去の歴史上の事件の現場を見ることができたら、どんなに素敵でしょう!


日本に帰っても、歴史の勉強も続けようと思います☆


あ、そういえば、レニングラード包囲解放イベントの記事で、あと20日と書きましたが、2月は28日までしかないので、あと約2週間でした!


あっという間ーーー!


そろそろ荷物もまとめないとな。。。


やらないといけないことがありすぎて、頭がクラクラ。


帰るまでにブログに書きたいことも書いてしまわないと!


こんなブログですが、今日も読んでくださってありがとうございます。


こちらはちょうど日付が変わったところ、日本は早朝ですね。


Доброе утро\(^O^)/ドーブらエ ウートら!

(おはようございます)


今日も素敵な1日になりますように☆