Think Globally,Act Locally
( シンク グローバリー、アクト・ローカリー)
地球規模で考え、足元から行動せよ
ルネ・デュポス
デュボスは、福岡ハ力セの先生の先生にあたる人。ニューヨークにロックフェラー研究所がある。有名なロックフェラーセンターではなくて、もっとずっと北のイーストリバー沿いにひっそりと建っている。観光客も足をのばすことはまずない。
二十世紀初頭にはかの野口英世も研究していた。
福岡ハカセが就職したときにはすでにデュポスは引退していたが、彼はここで微生物学を専攻していた。
デュポスは、菌類が作り出す毒を見つけた。
この毒は他の微生物の生育を妨げる。これは後に「抗生物質」として広く医療に利用されることになる。
彼は、抗生物質研究の一大鉱脈を掘り当てたのである。しかしいくつかのパイオニア的研究を行ったあと、早々に彼は急展開するこの分野から手を引いてしまった。
なぜか。微生物と長年つきあってきたデュポスにはわかっていたのだ。
生命とは関係性だということを。
つまり生命のあり方は常に周りの環境によって変わりうるということである。
ある抗生物質を使うと一時、微生物は制圧される。しかしそのような環境が微生物に新たな適応を促す。すると微生物の中で眠っていた能力が開発され、抗生物質を無力化する反応が作られる。いわゆる耐性菌の出現だ。ならばということでまた新たな抗生物質が開発される。するとまたしばらくして耐性菌が現れる。そして現在、私た
ちは手持ちのカードがなくなった。究極の抗生物質と考えられたバンコマイシンにさえ耐性を持つ菌が出現してきたのである。デュポスにはこの際限のないいたちごっこが見えていたのだ。
かわりに、彼は環境思想家として活動を始めた。
私たち人間は地球の上に住んでいるのではない。
地球の中に住んでいるのだ。そう彼はいった。
つまり私たちもまた微生物と同じように環境の中にあって、環境に作用を及ぼし同時に環境に適応しながら生活している。
だからこそ私たちはイマジネーションの広がりとしては地球全体に思いを馳せつつ、身の回りの環境についてできるだけ負荷をかけないような生き方を探すべきだと。負荷をかけないというのは、環境の有限性を自覚しながら環境の循環性を妨げないということである。
そしてルネ・デュボスは一つの標語を提案した。
三十年以上も前のことである。しかしそれは今なお新しい。
Think globally, act locally.
「ルリボシカミキリの青ー福岡ハカセができるまで」
より引用 初版発行2010年4月25日
ー放蕩息子の帰還ー
ちょっと風邪を引き込んでしまったようだ。
唾を飲み込むと喉がいたい。鼻の奥のほうが重く、ゴホン、ゴホンといやな咳もこみ上げてくる。この季節、一度や二度は必ずこうなる。
不快だけれど、福岡ハ力セはそっと小声でささやく。
「おかえり」と。一体、誰に?目には見えない、放蕩息子(プロディガル・サン)たちに。
インフルエンザや一般的な風邪の多くは、何らかのウイルスが引き起こしている。
ところでウイルスって何だろう。
まず第一の問いは、ウイルスは生物か無生物かである。
これは生物の定義を今一度、問い直さないと答えることができない良問である。
ウイルスは、DNAあるいはRNA、つまり遺伝子を持っている。
それがタンパク質の殻で囲まれてできている。電子顕微鏡でしかその姿を見ることができないが、規則正しい立体構造は、あるものは正二十面体、あるものはエッシャーが描いた寄木細工、またあるものは月着陸船のように、どれも無機的な、ミクロなプラモデルみたいだ。
私たちがよく知っているウェットな生命体には
とても見えない。それが空気中を漂って私たちの喉や鼻の粘顔に取りつく。細胞の表面に接着すると殻の一部が開き、DNAだけを注入する奴もいる。これまた機械そのもの。細胞はハイジャックされ、ウイルスDNAが複製され、ウイルスの殻が多数作り出される。
ウイルス粒子が再構成され、細胞を突き破って一斉に飛び出し、次のターゲットをさがす。
だから生物を「遺伝子を持ち、自己複製するもの」と定義すると、ウイルスはまごうことなく生命体ということになる。
では第二の問い。ウイルスはどこから来たか。
最小の自己複製単位であり、構造もシンプルだ。だから一見、ウイルスは生命の出発点、生物の初源形態のように思える。それがだんだん進化して、複雑化していったと。否、ウイルスの遺伝子を詳しく調べてみると、それはいずれも私たち
の遺伝子の一部に似ていることがわかってきた。
つまりウイルスはかつて私たちのゲノムの一部だったのだ。私たちのゲノムは常に複製され、ある
いは転写(DNAからRNAができること)されている。その過程で、たまたまはずみで細胞外に飛び出てしまった断片があった。それは流れ流れる旅路についた。多くのものは分解されて絶えたが、わずかなものだけは他細胞に付着して複製できるチャンスがあれば増え、すこしずつ変化し、殻で身を守るようになった。そして彼らは探し続けたのだ。かつて自分が属していたものを。
彼らは確かにそこへ帰り着いた。しかし彼ら放蕩息子たちは、あまりにも変わり果てていたため、もはやすんなり受け入れてもらえなかった。
むしろ私たちの免投系は彼らをよそ者扱いして排除しようとする。
彼らは必死に自らを増やし、自らをアピールする。喉の痛みや鼻水や咳は、そんな小競り合いの結果である。
ウイルスはとても不完全な存在なのだ。
それ自体では増えることも出来ないし、呼吸も循環も代謝もない。だからもし生物を、エネルギーや物質の交換が、絶え間なく起こる「動的平衡」
にあるものと定議すれば、ウイルスは生物とはいえない。
おそらく今もなお、新たな放蕩息子たちが私たちの身体から飛びだし続けている。
そしてかつて飛び出して行った息子たちが再訪し続けている。
その中で私たちの身体に変調をもたらすものだけがウイルスとして認識される。
「私たち」とはヒトということだけでなく、生命系全体ということである。
ここでは遺伝子すらも動的なのだ。
ウイルス。この極微小の存在にしばしば思いを馳せるだけで、生物学上の諸難問を一挙におさらいすることができる。
風邪を引くのも悪いことばかりじゃない。
「ルリボシカミキリの青」福岡伸一
✩放蕩息子の帰還より
https://dot.asahi.com/aera/2020040100051.html
2020年4月2日AERAオンライン限定記事より
コロナがおさまりまように☆*・゜
安全なワクチンがでますように
今罹患なさっている方が回復しますように
医師や看護師の方が安心して医療を行えますように。そして地球も、人も健康でありますように
今日も笑顔で!😊✨