何十年にも渡るほったらかしのモノとの対峙が続いています。ここで何度も書いているように、仕事を辞めたら片付けようと思っていましたが、これが思っていた以上に手ごわい。
連休中は、旦那が手伝ってくれるのが本当にありがたい。手伝いと言っても、一緒に片付けるというのではなく、ご飯を作ってくれるとか他の場所を掃除(例えばお風呂掃除)してくれたりして、自分の片付けに集中できるようにしてくれて、助かっています。
今日は雨だというのがわかっていたので、なおさら片付けに集中。旦那はベランダ掃除をしてくれました。
片付けをしながら思うことは、「なんでこんなに買ったかな(集めたかな)」。もはや、買うは捕まえるであり、集めるは蓄えるで、満足感と安心感を得ようとしていたのでしょうね。
学生の頃、参考書を買っただけで勉強した気になるのと変わらないですね。
客観的に考えれば、要らない、使わないと思うモノですから、「捨てればよい」のですが、手放すにあたって、罪悪感を持たずに、満足感と安心感を得ようとする心の葛藤があります。
ボロボロまで使っていれば満足感も安心感もあるのですが、新品だったりすると、もったいないとかいつか必要になるかもしれないとか思って、満足感や安心感を得るために戦うことになります。
だから、単に捨てるのではなく、売るとかあげるとか考えてしまうのでしょう。
もちろん、片付けしながら、売買先、譲渡先が思い浮かんだりはしていませんが、捨てるという選択もできていません。
結局、総量はあまり減っておらず、まだまだ先は長そうです。
ただ、今日は収穫がありまして、6500円分の商品券を発見!これからも宝探しのような片付けが続きそうです。