みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
ワタクシ、
占いや心理学していまして、
旦那ちゃんはお坊さんなんですけど、、、
もはや、
「宗教っぽいん」ではなく「宗教者」といってもいいんちゃうか?
お経よまれへんけどね、、、
ワタシも、
「宗教にはまる」って気持ち悪いな~
という感覚はわかりますしあります。
ワタシの高校は、バリバリの進学校だったからか、
高校生ながら「宗教」に「はまって」しまって、
布教活動をしている子がいました。
「うさんくさいこと」をいってるなぁ~
って近づかないようにしていましたもの、、、
ワタシは「宗教」そのものが「胡散臭い」んではなく、
「妄信」してしまう人々の「思考停止」なカンジが
「気持ち悪いんじゃあないかな?」
って思います。
オウムでもそうでしたが、、、
「マインドコントロール」の危険性ってヤツでしょうか???
でも、これって、
「宗教」だから気持ち悪いんじゃあなくって、
「妄信」が問題なんだと思うんですよねぇ~
とすれば、
「胡散臭い」と脅威を感じるのは、
「目に見えないモノ」が「正しいかどうか?」
なんじゃあなくって、
その組織を構成している、
トップと構成員の関係性なんちゃうかな?
って思うんです。
「宗教」っていろんな定義があると思いますが、、、
ワタシは「目に見えないモノを信じる」ことだと思います。
だから、
ワタシからすると、
神社にお参りにいったり、
「雷さまにおへそとられるからおなかは冷やしちゃあだめ」
という生活の知恵や、
「気」を整える、東洋医学の見解も、
ある意味「宗教」なんちゃう?
って思うんです。
実は、「お金」に付随する「価値」も「目に見えないモノ」なんだけどねぇ~
だって、1万円札なんて原価20円なんだよ!
ってなると9,980円は「ないモノ」だと思うんですよねぇ~
「臭いものにふたをする」というか、
「胡散臭いもの」をないものにする。
という態度こそ、
「宗教っぽくね?」って思います。
だって、目に見えないモノの存在を「ある」モノとしてるんでしょう?
極端にいうと、
目に見えないモノを信じてないなら、
ヒトの死体を生ごみに出す。
という行動がフツーになると思うんです。
お金のコトでいうと、
「1万円札」を「20円で両替してくれ」
という行為が正しくなるはずなんです。
でも、
そんな人見たことも聞いたこともありません。。。
(いたらおしえて~)
ワタシは、
占いもセラピーも目に見えないモノを「ある」という前提で扱うものだと
思っております。
その「目に見えないモノ」に対して、
どのように敬意を払うか?
その敬意の払い方が、
「胡散臭さ」の原因なんちゃうの?
なにが言いたいかというと、、、
ワタシはとっても胡散臭いです!ってコトです。(笑)