こんにちは!
ゆるみんとタロットとおしゃべりの松本典子です。
さてさて、
久しぶりに「オトナになるって???」という
中2病的なコトについて書いてみます。
Mのことがきっかけで、
久々に「死にたい」というか「あっち(神様がいるところ)に帰りたい」
と泣きまくっていた時のことです。
(ゆうとくけど、ワタシが泣くって、ほんまにめずらしいことやねんで!)
それについては、
ここらへんに書いている。
ワタシもダンナさんも、
「生まれてきたくなかった」系
なのに生きなきゃあいけないオトシマエをどうつけるか?
ってトコロが腕の見せ所なんですがね。
「生まれる」は、「I was born」で受動的。
でももし親が、
「give birth to you 」
いのちという大切なモノをあなたにあげたよ!
だから、返すのが当たり前…
だと要求してしまうと、、、
子供は親に生まれながらに莫大な借金を追って
それを返済するだけの人生になってしまいます。
でも、そんな借金払いきれませんよね。
一生かかっても無理でしょう。
そうなると、
その息苦しさから外れるためには、
その枠自体から外れるしかないですよね。
「いのちの代償は親には返さなくていい」
つーか、
もらったものをくれた人に返すだけなら、
その関係性が広がることなんてないですよねぇ~
一生、親とラリーしとくんかい!ってカンジ。。。
もらったものは、
くれた人に返すのではなく、
その子供世代や他の人に渡せばいい。。。
最近、生まれながらの受動性を能動性に切り替えるのが大人なのかな?
って思います。
子供を産んだら切り替えがしやすいのかもしれませんが、
「子供を産む」も切り替えのための手段なだけで、
子供を産んでもいつまでも受動態のままならば、
子供のままだし(そいう方もいっぱいいてはります。)
子供を産まなくても、
生を能動的に切り替えることができたら、、、
それが
「オトナになる」ってコトなんかな?
と思います。
能動的に生きることが、
自分の世界観をつくることなんかな???
参考文献
湯川カナさんのブログ「親は、恨まれるくらいでちょうど良い」
旦那さんのコラム
(この写真より、今はだいぶ痩せておりますが、、、)
「生まれてきたかったから生まれてきた」というスピ的思考の
違和感によるモヤモヤが減るといいな~