ヨガとタロットとおしゃべりの松本典子です。
「なぜ、ワタシは審査する状況に身をおきたがるのか??・」
ワタシが意思をもって受験をした事始めは、
小学生の時です。
某国立大学の付属小学校に受験しました。
その時、
「付属うけた方がお父さん喜ぶ気がする」
というキモチがあったことを今でもはっきり覚えています。
合格率が低いのにチャレンジしました。
結果は残念、、、
「あ~、お父さんがっかりするなぁ~」
と感じていました。
「お父さんを喜ばせれなくって悲しい」ですね、、、
その時父の反応はどうだったでしょうか???
どちらかというと、
ワタシに対して残念だったね、、、
というカンジでしたね、、、
ワタシが手放しで感じるべきは、
「受験に落ちてもここにいていいんだ」
という安心感だったのかもしれません、、、
それを感じたら、、、
無垢な子供として、生まれ変わることができるですね、、、、
ワタシは、
子供のころ
「褒められるものがなにもないと存在してはいられない」
と固く信じていました。
顔や、運動や、ピアノなど
ことごとく褒められるレベルではなかったので、
「これで勉強できへんかったらクズやな」
と、
危機感を感じながら勉強していたことを覚えています。
落ちても落ちても、
別に世界から存在を許されないわけではない。。。
というコトを実感するために
ワタシはいろいろチャレンジしていたのでしょうか???
ここら辺は、
ワタシの存在に対する不安につながっているような気がしています。
また、
何らかのしっぽがみつかれば続きを書いていこうと思うのですが、、、
今日のところはひとまずこれまでで^^