宝塚記念の言い訳は済んだので(長かった~)、
最近読んでいるホンについて、、、
河合-隼雄さんのトポスの知―箱庭療法の世界-
というホンを読んでおります。

箱庭療法ってわかりますかね?
↓
箱庭療法は、心理療法の一種で、箱の中にクライエントが、セラピストが見守る中で自由に部屋にあるおもちゃを入れていく手法。表現療法に位置づけられるが、作られた作品は言語化されるときもある。基本的に自由に見守られながら表現することが重要であるといわれている。現在は成人の治療にも使用されるが、もともとは遊戯療法(Play Therapy)から派生した。米国や欧州など、世界で用いられる手法であるが、日本でも幅広く用いられている。
(ウィキペディア先生より)
セラピーの一種で、
箱庭を作るコトで治癒していく方法です。
そのセラピー的要素は
1、作るコト
2、砂に触れること
3、言語化しないこと
4、箱庭をつくるまでに、クライアントとの信頼関係を構築しておくこと
などなどあると思うのですが、
(コレ以外にもあるんじゃあないかな?)
今日は、
基本的に自由に見守られながら表現すること
について書いてみます。
見られること=視線による「触覚」
触覚って、
触られるコトによるカンカクなのですが、
「視線」(まなざし?)にも
十分「触れられているカンカク」があるんじゃないでしょうか?
あたたかい視線をむけられた状態だったら、
普段できないコトができたり、
冷たい視線をむけられたら、
普段できるコトでもできなくなりませんか?
ちなみに、
ワタシは18歳の家庭教師を皮切りに、
簿記の先生、ヨガの先生、
加圧トレーニングのトレーナーなどなど、
「教える」シゴトばかりをしているのですが、
1対1よりも、
1対多の方がなんだかうまくいくんですよね。
1対1だと、
「このヒトをなんとかしたい!」
というキモチが強くなり過ぎて、
まなざしがきつくなっちゃうのからなのかもしれません。
「このヒトをなんとかしたい」
ってキモチは一見イイコトのように見えますが、
治療者(先生)のエゴなのかもしれない、、、
治療者(先生)がそばにいて、
あたたかく見つめてくれるコトが
クライアントの存在を肯定するコトにつながるのかな?
そういうコトを踏まえて、
ヒトの前に立てれば、
1対1でも
1対多でも、
その場のヒトに安心感を与えることができるんちゃうかな?