勉強ノート  奥の細道を辿る(19)市振 | 中島幼八

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中国残留孤児が辿る

 

                     奥の細道紀行(19) 

                          市  振

 

「奥の細道」のなかでは「一振」(いちぶり)となっている。そして、非常に異色な一節がある。

「今日は親しらず・子しらず・犬もどり・駒返しなど云う北国一の難所を越えて、つかれ侍れば、枕引きよせて寝たるに、一間隔て面の方に、若き女の声二人計(ばかり)ときこゆ。・・越後の国新潟と云所の遊女成し。」

 

        一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月

 

遊女と同宿したくだりである。これについて、諸説あるが、芭蕉の作り事だと一般的に言われている。つまり、ノンフィクションであるという。

私は暑い日だったが、日本海の海岸沿いに市振というJRの無人駅に降り立った。近くに有名な親知らず子知らず犬もどり駒返しという岩壁の切り立った海岸がある。名所ではあるが、交通手段がなく、とうとう立ち入ることができず、あきらめざるをえなかった。近くの海辺レストランで美味しいカニ丼を食べて、もどった。

 

さて、2018年9月初め鈍行汽車を降りて、街のはずれにある市振駅から徒歩で一本道を歩いた。その道の両側に人家が固まって出来たような街で、この街道沿いに全てが並んでいる。歩いていると左側に日本海、右側に高い山、平地があまりなく、まとまった畑も田んぼも見えない。海に頼って生計を立てるのかな、と推測する。街道の右側に面して30坪ほどの空き地があった。片側の塀に、芭蕉たちが泊まった旅籠の桔梗屋の跡地だと説明する案内板があった。どこの誰が作った案内板か知らないが、手作りの感じだった。空き地の広さから推測すると旅籠というほどの宿屋ではなかったと思う。

でもその簡単な説明から、私にとって大変重要な情報があった。芭蕉の句がもちろん書いてあったし、さらに良寛もここに泊まったと書いている。

その時の句として

          市振や芭蕉も寝たりおぼろ月   良寛

 

出雲崎で持った疑問がここで回答を与えられたようなものだ。私にとってこの程度で十分である。

 

さらに街道を先へ進むと家並みが切れた突端に、本来大きな松の木があったはずのところに、いつも写真で見た景観と違っていた。松はあったが幹が細く代役のようであった。そばの説明を見るとその2年前に台風で倒れたとか、代わりに植えられた松はいかにも頼りなく立っていた。

            松の木があったところに、往時の写真入りで説明する看板。

         

             (次回は(20)章 黒部へ)

 

 

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