ペタしてね

見方道アドバイザーのどいしゅうです

今日もわたしのブログを知り
読み始めることになった皆さま
はじめまして(*^^*)

そして、今日もまたブログの更新が
あればと気にかけてくださった皆さま
ありがとうございます(*^^*)


「令和初 おかげさま詣り」
三嶋大社・瀧川神社・雲見浅間神社・白浜神社

が、無事に終わったばかりなのですが爆笑

やはり「瀬織津姫」が気になります。

6月22日(土)に、愛知県半田市でわたしが
出演している映画『ひかりの国のおはなし』と
『かみさまとのやくそく』のチャリティー
上映会があり、ひとりの参加者として
(参加者からの簡単な質疑応答もする)
参加するため、愛知に前日入りしました。

事前に、愛知県内で「瀬織津姫」が
祀られている神社を探し、出てきたのは

槻神社(つきじんじゃ)

場所は、愛知県北設楽郡東栄町
奥三河(北東部の山間部)にあります。

車で少し走れば、岐阜県恵那市・中津川市、
静岡県浜松市にも出られます。

友人に名古屋から車に乗せてもらい
1時間半~2時間かけて移動します。


神社の近くの古民家ダイナー月猿虎で
ランチをいだきました。


店名はオーナーご夫妻の干支(猿と寅)に
因んで付けられたそうです。


築約100年の古民家とは思えない内装で、
座敷の他にカウンターバーやテーブル席が
ありました。


また、店内には薪ストーブがありました。


ランチは四種のおかず定食にしました。


外には薪がたくさんありました。

寒い季節は、薪ストーブの炎を見ながら、
お酒と美味しい料理を楽しむのもステキですね



いよいよ【槻神社】へ向かいます。

奥三河というだけあり、本当に山奥
マイナスイオンたっぷりです照れ


着きました!

槻神社(つきじんじゃ)
愛知県北設楽郡東栄町大字月

旧社格は郷社です。


月集落の産土神であると同時に、
東栄町内東部一円の崇敬社です。


鳥居で一礼し、奥に進むと、


ご祭神は、

・瀬織津姫命(従五位上、元槻神社・郷社)
・伊邪那岐命(元熊野神社・村社)
・建御名方命(元宝大明神・村社)

が祀られています。


郷社、村社とは...

神社の旧社格制度で、

(官社)
官幣大社
国幣大社
官幣中社
国幣中社
官幣小社
国幣小社
 ↓
(諸社)
府県社
郷社
村社
 ↓
無社格

の順に位が低くなります。

元槻神社は郷社ですが、天竜川水系の
大千瀬川支流の御殿川(みとのがわ)近くに
鎮座していました。

村社より社格が上の郷社の槻神社が、
村社の熊野神社より低い場所にあるのは
失礼にあたると、社殿を移すことにしました。

現在の槻神社は、元熊野神社の場所に
元宝大明神と元槻神社が合祀して
あらたに槻神社に名前を変えたのです。


【町指定文化財/天然記念物】
樹高45m 幹周り3.94m 樹齢350年以上の杉は
ご神木になっています。

元熊野神社の伊邪那岐命はこちらの
ご神木にいらっしゃる感じがしました。


お札や御守りの頒布先(槻神社の氏子総代)が
書いてあったため連絡を入れ、お札を受取りに
お宅へ伺わせていただきました。

インターネットで「槻神社 元宮」と
書いてあるのを拝見し、氏子総代に質問。

総代から宮司に確認をしていただきましたが、
槻神社には「元宮は存在しない」と言われました。

総代によると、元槻神社の地は既に私有地で、
私有地(土地所有者)の家を守る神を
祀られているということでした。

氏子総代のご厚意により、
所有者様の○○さん(個人情報のため非公開)
連絡をとって下さり、特別に伺い跡地を
見学をさせていただくことになりました。

※元宮ではないため、瀬織津姫は祀られていません。

○○さんが、ご自身の畑で
わたしたちが来るのを待っていて
くださっていました。

とても優しくて、親しみのあるお方ですおねがい

○○さんが

「映画「君の名は。」を観られた方や、
瀬織津姫を信仰する参拝者が2~3年前から
元宮があると信じて来られるようになったんです。

瀬織津姫は現在の槻神社にいらっしゃり、
この社には我が家の守り神を祀っています。
瀬織津姫を祀っていると勘違いされていないか
心配です」

と言われていました。

また、

「自宅に帰ってきたら不在の間に知らない方が
社に手を合わせていることがあるのですが、
静かに見守っています」

と少し困惑されていました。

知らない方が参拝していても、声をかけず
あたたかく見守られるという応対に、
素晴らしい人柄と大きな愛を感じました。

※○○さん一家の守り神として2柱をお祀りされています

もちろん、現在の槻神社に瀬織津姫は
鎮座されており、この○○さんの所有される
お社にはおられません。

ただ、元槻神社があった跡地ということで、
○○さんに許可を得て、お社に手を合わさせて
いただきました。

お社の下には、御殿川が流れていて
細胞ひとつひとつに生命が宿っていることを
思い出させるようなキラキラ

躍動感のあるエネルギーを感じました。



○○さんが、ご自身が車庫を改装され
作業場へ案内してくださいました。

お祭でつかう神楽鈴の「鈴」を
新しく作られたり、修理されたりしていました。

東栄町では、毎年11月から3月にかけて
各地区で開催される「花祭」。

国の重要無形民俗文化財にも指定している
この祭りは、悪霊を祓い、五穀豊穣、神人和合
無病息災を祈る目的で鎌倉時代から代々
親から子、子から孫へと大切に約700年以上
伝承されてきた神事です。

村内の滝から採ったお滝の水を
切り火(火打石)で火を興してつけ
釜で沸かしながら八百万の神々を
舞庭(まいど)にお迎えし、祭が始まります。

少年の舞、青年の舞、巨大な鬼面を付けた
鬼の舞など、およそ40種類にもおよぶ舞が
夜を徹して行われます。

舞手は「神」。神と一緒に舞うことで、
「神と人が融合」します(神人和合)。

舞手と一体となって「テーホヘ、テホヘ」の
掛け声や歌を覚え、体を動かして参加。
湯ばやしでは、お湯を浴びると病にならない
と歓迎されています。


この花祭り、実は
熊野(和歌山)や吉野(奈良)の修験道が
奥三河に暮らす人々に影響をもたらしたと
伝えられています。

その花祭神事を、熊野本宮大社で行いました。

もとは旧暦の霜月に行われていました。
新暦では12月から1月頃にあたり、
一年で最も寒い時期になります。

穢れ衰えた魂にかわって、新しい強力な魂を
呼び込む鎮魂(タマシヅメ)の祭

旧暦の11月は神や自然が衰弱する時期であり、
太陽と大地の生命力を呼び醒まします。

魂振の儀式などを行い、
魂の再生・更新を行って新年に備えるために
神楽が行われました。

その際に熊野の再生儀式であった
湯の清まりと忌籠の呪法が取り入れられて
湯立として残ったとされています。


東栄町の月地区
江戸時代には月村として所在していました。

月という地名は諸説あるそうですが、
高いところから眺めると御殿川が
お月様のようにカーブしているからと
言われているそうです。

神社名を、月ではなく「槻」としたのは
(ケヤキの古名。樹勢が盛んで大木になる等
神聖視されている)高貴であることを示すため

わたしは、瀬織津姫が月の女神であるため
付けたのではと考えます。


花祭を開催した熊野本宮大社をはじめ
熊野速玉大社、熊野那智大社の
熊野三山に祀られる神(熊野権現)。

そして、熊野神社をさかのぼり調べると
熊野権現は「瀬織津姫」という説があります。
大和政権がエミシ(蝦夷)征伐の際、
熊野権現を守り神とし北へ向かったとのこと。

制圧した後、718年4月
元正天皇の勅命により、紀州熊野から、
数百人の人々が付従いながら船は出航
9月9日に到着したそうです。
気仙沼市唐桑町に瀬織津姫神社、
熊野神社などが鎮座しました。


「瀬織津姫」は、

水徳のある神、祓いの神、月の神
太陽と大地の生命力を呼び醒まし、
新しい強力な魂を呼び込む鎮魂(再生・更新)
のエネルギーをもつ神だということが
わかりました。


今日はここまでです。

ありがとうございましたお願いキラキラ