△ゆっくりいそげ▽
『動き-見えている部分で-』は『亀(ゆっくり)』のようだがその『思考-見えていない部分で-』は『兎(速い)』である事を意味する唱え。
いくら素早い動きで物事を熟なしてもミスをおかしてやり直すならば、始めからゆっくり物事を熟なしていた方が結果はゆっくりの方が早かった、となる。
亀は傍から見ればトロく、何も考えていないようだが、実は考えているものなのだ。
さらに、兎よりも亀の方が寿命が長い。
常識で考えれば「早く物事を熟なすことによって時間が生まれればその分ほかのことが出来るから動きは速い方がお得(人生を謳歌する)」であり、「のんびり生きていたらあっという間に死が訪れるから損」と捕らわれがちだが、肝は「物事を如何に考えて熟なしているか(充実しているか)」なのである。
″人からどう見られるか″などといった概念はそこでは必要ない。おそらく動きの速いアナタは『見られる-評価される-』かも知れないがアナタの中身(「何を考えているのか?」と)は『見られてはいない-評価基準にはない-』。
アナタが生まれてきた理由であり目標は″如何に幸せになれるか″なのだ。
評価する者、評価を求める者というのは「名誉や権力を得ることこそがが幸せに繋がっている」と捉えている。
彼らは幸せを知らずに、また幸せを知らない者を永遠と苦しめて苦しんでいる(住まう場所は餓鬼道)。
§△人は人(他人)、自分は自分▽§といわれた所以は。
他人の表面を自分と照らし合わせるのではなく、中身を見ようとしたとき自分が見えてくる、といった意味である。
とつぜん話は変わる(次元を変えて話す)が、まぐだらのまりあちゃんは『聖母であり処女-聖なる者を産んだ非開眼者-』である。
しかし、『イエスという名は潜在意識の呼び名であり、肉の世界での呼び名はイマヌエルであったイスラエルの王のように-王であることよりもイマヌエル自身であることよりもイエスという印象が世には残ったように』
マリアを自分の潜在意識に取り入れても効果はあまりない。魅力とは「人が魅了されているもの」を取り入れるのではないのだから。
「ワタシ(主『イマヌエル-肉体-』)はイエス(潜在意識)を信じます」
うん、理にかなってるな。
※イエスを主としているのは間違いだということ
「ワタシ(肉体)はマリア(盲目者)を信じます」
ふ~ん。
「聖書を読むから聖となる」のではない。
「聖なる者は聖書を利用できる」だけである。
聖を求めても手には入らない。
与えようとすることだ。すべてにおいて
『悪魔は聖書によって焼かれる-光を求める者はその光によって焼かれる-』わけだ
『潜在意識-霊魂-』とはそんなもんだ
「キミ(肉のアナタ)は君(『潜在意識-本当の自分-』)を知らなさすぎる」
(盲目者は「アナタ(この記事を読む者)はボク(安田直人)の言っている事を分からなすぎる」と捉える。愚かよ)
瞑想とは潜在意識と繋がるため(自分を省みる)の行為である。
おろそかにする行為ならばしない方がいい
やり直せ