2021年は感慨深い年。そしてもう2022年なのね。すごい。まだ生きてるよ。 | ニューヨーク COCO KARA Diary

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ニューヨークに住む COCO KARA です。画家をしています。
日々の暮らしで体験したことや感じたことをお届けします。

COCO KARAです。

 

2021年は色々なことがあったな~。

 

10年以上も務めた会社を辞めて無職で始めた2021年。

 

なんの見通しもなく、日々減って行く貯金。コロナ下で話す人も少なく。

 

そんな中、「再就職の話をしましょう」、と知り合いの人が声を掛けてきてくれて、ZOOMミーティングをしてみたら、その人は1時間のミーティングの間中、私がこのコロナ下に、若くもないのに会社を辞めたのは何と愚かな決断であったことかと、とうとうと語るだけだった。

 

ヘッドハンティングを装って私をクレジットカード詐欺にかけようとした詐欺集団もいた。←このことは、後で別の記事に書くかも。世界を股にかけた組織だったのよ。すんでのところで被害に合わずに済んだわ。

 

ともあれ、無事に再就職も決まり、勉強と挑戦の日々です。

 

たぶん、ここ1、2年ほどの間に私に起こったことって、傍から見たら大変なことだったのかもしれない。前に勤めていた会社では2年以上も上司から、毎日息が出来なくなるほど怒鳴られてたし。

 

周囲の人の中には私があまりに怒鳴られていたために、私が早まったことをしてしまうんじゃないかと、心配していた人達もいたと後で知った。

 

まあ、当の私はと言えば、怒鳴られていた間も、無職になってからも、絵を描いたり、カヤックしたり、サーフィンしたり、ハイキングしたりしながら過ごしていたわけで、こういう、のほほんとしたところ、友達には時々ポジティブ過ぎると切れられることもあるんだけど、まあ、こういう性分なんだろうな。

 

私は辛い時にはいつも祖母のことを考える。祖母は戦争中に、夫を亡くして、まだ小さかった私の父も含めて4人の子供を女手一つで育てあげた。

 

貧しかったから、自分はろくなものも食べずに、子供たちに食べさせた。子供たちはお母さんはいつご飯を食べてるんだろう、と思っていた。

 

働きづめに働いて、4人の子供たちが大人になって独立した時に、一人一人に家か、それに相応するお金を残して死んだ。

 

私が育った家は祖母が買ってくれた家だ。

 

祖母が亡くなった時、祖母の枕の下には小さかった私の写真があった。

 

私は周りの友達にポジティブ過ぎると言われても、祖母のした苦労から比べたら私に起こったことなんて、何でもない、と思う。これぐらいのことを”苦労”と呼ぶなんておこがましい。

 

私は何が何でも幸せになるの。私の体には祖母の遺伝子が受け継がれているの。だから祖母が繋げてくれたこの命を輝かせて、幸せに生きる。幸せになるのは権利じゃなくて義務なんだよ。これほど良い命をもらって、泣き言言う理由なんてない。いつもそう思って生きているの。

 

2022年かあ。すごいな。私がこんなに長く生きるなんてなあ。私あまり人に言ってないけど、死にかけて内臓一つ取ったことあるんだよ。

 

ブログを読んでくれるみんな、いつもありがとう。今年もよろしくね。

 

下の絵は去年描いた絵です。春っぽいでしょ?インスタに私の描いた絵を載せてるから興味あったら見てみてね。

 

ではまた後程!ニコニコ

 

下の商品をどれか買ってくれると私に数パーセントお金が入ります。買ってくれたら嬉しいな。

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