ゆとり教育終了は当然 | 特選街情報 NX-Station Blog

特選街情報 NX-Station Blog

特選街情報 NX-Station Blogは30年以上の製品選定の経験に基いてパソコン、デジモノ、家電の購入の経験、そのほか日々の記録のブログです。製品についての所感、評価、クーポン&特価情報やスペックの比較をしています。

ゆとり教育終了どう思う? ブログネタ:ゆとり教育終了どう思う? 参加中
旧URL http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=7686

 

日本の国力、世界での注目度、さまざまな角度から見て感じているのが、日本は弱くなったということです。ゆとり教育が推進されたのは前の詰込み教育、偏差値教育からの反省ということですが、ゆとり教育が始まってからの人たちが社会に出てまだ数年ですが大きな誤りだったといえるのではないでしょうか?

 

教育はその人が生きてゆく50年以上先の将来まで考えてするべきです。中々、義務教育のその年代では考えが及びません。
 
ゆとり教育の成果はこれから先かなりの年数が経たないと分からないわけですが、短期的にはゆとり教育でどんなことを学んできたのか、単純に基礎学力が低下しただけという気がしてなりません。ゆとり教育を受けた世代から、新発見、新産業、新文化といった発展をみせることがあれば成功とも限りませんがどうでしょうか。
 
自由な発想というのは、過去の歴史や現在の状況、さまざまな知識に基づいてこそ行えると思うのです。新発想だと思ったことの多くは、実のところ再発見ということがほとんどです。
 
事細かに知識として記憶していなくても、インターネットを活用すれば知識らしきものは手に入ります。しかし、基礎的な知識がなければ、検索もできませんし、検索結果から情報を選別し、真偽を判断することができません。
 
ところで就職氷河期とまた言われています。卒業する年代で不公平だという人が世代間格差デモをしていたりします。それでは身分制度があった時代だったら・・・、戦時中だったら・・・、大学進学率が少なく義務教育を終えたら就職していた時だったら・・・どうなのでしょう。日本に「変な平等感」が蔓延しているのかもしれません。平等ということは絶対無いと知るべきです。
 
今、元気のある、活躍している人達は猛烈な努力をしています。すでにネット業界で一財産築いた人は、法律で決まっていないことを利用したり、社会の矛盾を利用して成長しました。
 
ゆとり世代で無事に就職できた人たちは日本が日本語圏で閉鎖的な市場であるがゆえになんとかそれでも就職できているんだということに気付くべきです。すでに、ものづくり、生産の中心はアジアになり、多くの人口を抱える国の学力の上層の人が豊かになろうと懸命に努力しています。一方で日本では大学全入時代になり、ごく一部の上層を除いて、大学の方から誘うような状況で真剣に勉強をしていません。ちなみにこの真剣にというのは講義・授業に出席することではありません。抽象的になりますが自分のための勉強です。

ところで、もし、企業の中間管理職以上が英語をはじめとした言語を何んら不自由なく活用できていたら、海外から採用するでしょう。海外へ展開する際に出身国の事情にも詳しいので重宝するでしょう。、今は言葉の壁があるため、日本に留学している外国人や日本で就労している外国人の人材価値が高い程度にとどまっています。従業員間の言葉の壁がなくなったら海外の安価な製品で市場が満たされたように、労働市場が満たされる可能性は当然あるわけです。

社会人としての競争は世界を舞台にして行われるということです。部活などのスポーツで、地区大会や都道府県大会、国体など地域の大会があったと思います。これからの社会人は世界大会で競争です。他の国の人たちも成長市場を目指して世界中を移動する時代です。
語学を学んでもそれだけでは競争になりません。自分はどの分野で専門性を発揮するのか、どんなアドバンテージを持つのかということを考えて、スキルアップとキャリアアップを考え、積み重ねていくということです。
 
ゆっくりしているゆとりはないんです。
ゆとり教育終了は当然だと考えます。