久々に帰ってきた日本。もうアメリカへの帰国なのですが、1週間滞在してこれまでの一時帰国時とは違った感情が生まれてきたことに驚き、戸惑いも感じています。

 

アメリカに渡って20年。その前のシンガポール駐在時代も含めたらもう人生の半分を海外で過ごしています。これまでは一時帰省時には1週間過ぎたらもう、アメリカが恋しくなっていたのですが、今回はとても名残惜しい気持ちも芽生えています。もちろん、ニューヨークでの日常に戻りたい思いもある一方で、今まではこういう感傷的な気分に直面したことはありませんでした。

 

こういう風景は日本ならでは。鎌倉の報国寺(通称竹寺)

 

アメリカ人の旦那は日本語話せないし、仕事も今の収入を維持するなら、日本の労働市場に参入するのも難しいし、現実的ではないのですが、「このまま一生死ぬまでアメリカにいるんだろうか。日本に戻ってきたらどうなるんだろうか」とも思っている自分がいます。つい昨年の冬、旦那Dに東京勤務の誘いがあった時は、自分が東京に戻って暮らし始めることは全く想像がつかなかったので、正直自分の中でまだ、この気持ちを整理できていません。

 

アメリカに長いこと住んでいる日本人の方々と話していると、配偶者がアメリカ人で子供もアメリカ人として育って、さらにご自身もアメリカ国籍選んでも、結局自分は日本人なので、歳をとるとともに日本に戻ることを考えるようになると聞いていました。なぜか私はそんな先輩方の言葉をまるで警告のように受け止め、同時に自分はそんなことはない、とたかを括っていたのですが、今回のわずか1週間の日本滞在で、自分も人生のそのフェイズに直面しつつあるのかも、と思うようになりました。しかし一方、まだ仕事をリタイアする気分でもないし、まだまだアメリカで何か意義のある仕事ができそうな予感はあるので、コロナ後の久々の帰国で感情的なものなのか、とも思います。

 

気持ちの変化の要因は日本にいる家族だと思います。これまでの海外在住時、コロナ前は半年に1回は帰ってきていたので、帰国旅行のうち半分くらいは両親にも言わず、もちろん会わず過ごしてきました。両親はいつまでも元気な気がしていたし、きょうだいとその家族が比較的近くにいるので、なんとなく安心していましたが、最近急に両親、特に母親のことが気にかかるようになりました。今回の一時帰国は急だったので、あまり時間もないし実家に連絡するかどうか迷った挙句、サプライズで実家に連絡してみました。

 

旦那は東京に残し、私と両親だけで一緒に鎌倉を観光し、その後実家を訪問しましたが、やはり、歳とったな〜という感想。自分もその分老けてきてるので、お互い様ですが。長谷寺にあじさいでも見に行こうかという話でしたが、江ノ電の入り口ですでに入場制限をしているという話を聞いたので、鎌倉の西側は避けて、竹寺として親しまれてる報国寺など市内東部の静かなエリアを散策しました。父も母も普段から散歩を日課にしているようで健脚ですが、二人のペースに合わせて後ろから歩いてると、「おふくろ、こんなに小さかったっけ?」と思うこともしばし。さだまさしか松山千春かどちらだったか、誰かの有名歌手の歌に、「母親に会うたびに後ろ姿が小さくなっていく、」というような歌詞があったと思いますが、まさにそんな思いを抱きました。

 

今にも雨が降りそうで、しっかり観光という気分でもなかったので、早めに切り上げ実家に戻ると、「急に連絡してくるから、Nの好きなもの、あり合わせでつくたんだよ」と言ってカレーライスを用意してくれていました。あと、近くで採れた山菜で作った料理。懐かしい味のカレーと、山菜の天ぷらや小鉢。もう何年ぶりの再会だというのに、特にドラマチックな話もせず、他愛無い話で時間が過ぎましたが、帰りの電車ではやはり、あのカレー、あと何回食べられるのだろうか、と今後のことを考えざるを得ませんでした。

 

年々小さくなる母親の後ろ姿

 

二人とも今住んでいる家を気に入っているので、「ここにはあと30年住むつもり」などと言っていますが、一方、帰り際には「もうこの歳になると、お兄ちゃん(今も母は私をこう呼ぶ)に次に会えるかどうかもわからないから写真撮ろう」なってことを言ってくるし。

 

今すぐ何かするようなことでもないですし、何かオチがあるわけでもないので、ブログで人様に晒すような話でもないのですが、現在海外在住で同じような思いを感じておられる方、また、長い海外生活から日本に戻られた方もおられると思うのでここで書いてみました。

 

 

母親の作るカレーと味噌汁。あと何回食べられるのだろうか、、。