2月11日、フロリダ州にあるキリスト教系の大学のホールで予定されていたキングス・シンガーズのコンサートが、演奏2時間前に、学校側から一方的にキャンセルされ、演奏に向けてリハーサル中の彼らが半ば追放されるような形でフロリダを後にしたという前代未聞の事件が発生しました。

 

キングス・シンガーズは1968年にイギリスで結成されたアカペラグループで、以降50年以上にわたり全世界で演奏を行なっている、ヴォーカルアンサンブルでは世界最高峰のグループの一つです。故エリザベス女王をはじめ、イギリス王室関係者にも度々招かれ演奏をしています。世界ツアーも度々実施しており、昨年のクリスマスには日本各地でもコンサートを開きました。東京公演時には高円宮妃久子さまなど皇室関係者も姿を見せ、その後赤坂御所に招かれるなど、日本の皇室ともゆかりが深い由緒あるグループです。

 

赤坂御所にて、高円宮妃久子さまと。

 

昨年のクリスマスの時期には日本をはじめアジア各地で演奏会を開きました

 

そんな由緒正しいキングス・シンガーズのコンサートを一方的にキャンセルし、半ば追放のような仕打ちをしたのは、フロリダ州にあるPensacola Christian Collegeです。大学側はコンサートを中止した理由として「建学の精神であるキリスト教聖典に反く」と発表しています。内情としては、メンバーのうち一人がゲイであることを彼のSNSで知った学生とその保護者の一部が、「聖なる我がキャンパスでは同性愛者の演奏は受け入れられない」などと抗議をして、それを大学当局が受け入れたことが原因のようです。当日開演2時間前、リハーサル中に、中止を言い渡され、出ていけと言われたシンガーズはどんな気持ちだったのでしょうか。それに名指しされた本人の心境を考えると心が痛みます。なお、キングス・シンガーズはゲイの啓蒙活動をしにきたわけではなく、純粋に芸術家集団として演奏会に臨んでいたわけで、メンバーに同性愛者がいるから追い出したという事実は、やはり衝撃以外の何者でもありません。

 

このニュースを知った時、驚きや怒り、悲しさとともに、さもありなん、とも思いました。フロリダ州は、知事が率先して「学校内でGAYという単語を発してはいけない」という法律を制定するなど、近年同性愛嫌悪に振れており、知事や州政府高官のような公人が率先して同性愛者を攻撃している州なので、こういう差別が許される状況が続いています。また、SNSでの情報の歪曲した拡散や、モンスターペアレンツが学校に乗り込む、などの状況は日本でも見られる傾向ですが、アメリカでも同じです。

 

その後、キングス・シンガーズ側は、以下のような声明を出し、このようなことが起こってしまったことへの失望と、ともに、今後もありのままの自分の音楽を届けるために北米ツアーを続けていく、と非常に理性的な対応をしています。この事件は全米で大きく取り上げられ、基本的には大学の対応を批判する世論が大勢です。一方、悲しいことに一部のキリスト教派を中心に「信教の自由」を盾に大学側の決定を支持する意見もあります。

 

Kings Singers公式インスタより

 

最近、日本でも政府要人や政治家が「LGBTが周りにいたら気持ち悪い。私の周りもみんなそう思ってる」とか「ゲイに生産性はない」などを問題発言をしておりニュースになっています。その度に、メディアでは「欧米では許されない発言」などと言っているのを見聞きしますが、ヨーロッパの状況はさておき、アメリカの現状を知る身としては、いやいや、アメリカの方が同性愛嫌悪はもっと激しいよと、反論したくなります。4000人収容の会場でのコンサートを直前にキャンセルして、アーティストを追い出すというこのキングス・シンガーズ追放事件は、アメリカの現状を如実に物語っていると思います。

 

今現在の政権はバイデン大統領率いる民主党主導でLGBTに寛容ですが、つい3年前まではトランプ率いる共和党が政権を握っていたときは、ゲイが隣に住んでたら気持ち悪い発言の荒井元首相秘書官や、生産性はない発言の政治家の杉田水脈も顔負けの差別発言をする人物が副大統領や大臣ポストに居座っていました。前政権の置き土産ですが、現在の最高裁判事は9人のうち保守6、リベラル3という構成になっています。特にトランプが指名した宗教極右が3人が加わり、これまでの判決を覆したり、自らの宗教信条を判決に持ち込むなど懸念が議論になっています。トランプ自身はLGBT問題には興味はないとされていましたが、支持基盤の宗教右派に反LGBTが多いので、ご機嫌取りで同性愛嫌悪路線で歩調を合わせていました。今も、フロリダをはじめ南部の州や中西部の保守州選出の議員の中には根強く同性愛嫌悪を煽ったり、フロリダのような州では、前述のようにGayという言葉を使ってはいけない法律だけではく、同性愛者を名指しで攻撃するような州法を導入したりしています。最近では、アーカンソー州でドラッグクィーン(女装)イベント禁止令が出ています。日本のLGBT法案の議論がなかなか進まない理由として、同性愛者嫌悪の宗教関係者が政治家の票に結びついているからと言われていますが、アメリカでも全く同じ状況です。

 

キングス・シンガーズの件に戻り、メンバーの一人がゲイであるという極めて個人的な事象をもとに、学校の方針とは相容れないからと言って、公演の2時間前に中止させるというのは、個人的には芸術への冒涜としか思えませんし、こういう勢力がいる地域には近寄りたいとも思いません。私のような個人が何を言ったところで、変わらないと思いますが、芸術関係者にはゲイの人が多いので、ビジネスリスクも勘案し、今後この学校には著名なアーティストは寄り付かなくなるかもしれません。実際に数々の音楽関係者たちがキングス・シンガーズへのサポートを示しています。今後、どのように展開していくかは分かりませんが、一つ言えることは、一流の芸術に触れる機会を逃したフロリダの聴衆やこの学校で学ぶ学生もある意味被害者でしょう。

 

55年の歴史で、天候や戦争リスク以外の理由で演奏を中止させられたのは初めてだそうです。