余田幸美(よでんさちみ)プロフィール

 

音譜歩くって、こんなに楽しいことだったのね音譜

 

あなたの今後の人生を

変えてしまうかもしれない

2本のポール。

 

ノルディックウォーキングインストラクター 

ツインポール®エクササイズインストラクター 

 

《歩くことを仕事にすること》

 

生まれたとき、生まれる前から

既に決まっていたのかも!   

自分の人生を振り返るとそう思えてきます。

 

 

父と母、祖母、叔母(父の妹であり私の養母)

この4人が、私の人生の前半に

大きな影響を与えた人物です。

 

それから、

人生半ばに出会った

ノルディックウォーキングの師匠と。

 

 

 

1964年10月

兵庫県の丹波市で、長女として生まれました。

祖母からすると、初孫です。

 

その子は、生まれ落ちた瞬間から

両足股関節脱臼、

そして未熟児で生まれてきました。

    

赤ちゃんの股関節脱臼は、下手をすれば

一生まともに歩けなかったり、

大人になってから後遺症に悩んだりする

可能性もあります。 

 

 

 

そんな私は、生まれてすぐに

両親の元から祖母と叔母に預けられて育ちました。

  

それは祖母の「鶴のひとこえ」だったようですが

初めて授かった娘を引き渡し

一緒に暮らすことができなかった年月・・・ 

いったい母は、どのような心境だったのだろう。

 

一方で、若くして兄の娘の

面倒をみることになった叔母も

どのような思いだったのだろう。

 

 

叔母を「ママ」と呼び

実母を「お母さん」と呼んで育った私は、

本来なら どちらにも

感謝するべきなのかもしれませんが

 

 

実際には、どちらにも遠慮するような

大人の顔色をうかがうような日々でした。

  

 

いつしか成長し、4人の母親となった時

祖母や両親に対する

「なぜ?」「どうして?」の疑問は

ますます強くなりました。

 

そして、

深く自分と向き合う時間が始まります。  

 

 

【股関節脱臼を治す!!】

 

生まれて間もないちっちゃな私を

毎日、1日数回お風呂に入れカラダを温め

赤ちゃん体操で股関節を広げる。

  

そして祖母手作りの「股あて」を当てて

股関節を広げた状態を保つ。

 

 

赤ちゃんの私は痛くて泣き叫んでいたそうです。

 

きっと母親では手を緩めてしまう・・・。

 

そこを心を鬼にして私に関わってくれた

祖母と叔母

 

その努力のお蔭で

今、私は何の不自由もなく

当たり前のように歩けています。

 

それは、私を自分たちの手元から

祖母の元に預けてくれた両親のお陰でもあります。

 

 

【そのまま両親と暮らすことはなく・・・】

 

生まれてすぐ、両親の元から離れ

両足が治った後もそのまま

祖母と叔母の元で暮らし続けました。

 

 

小・中・高・・・なに不自由なく。

 

高校3年生の時には

自分で家庭裁判所に行き

叔母との養子縁組の手続きをしました。

 

高校卒業すると同時に都市銀行に入社

8年間勤め

 

別の金融機関に勤務する主人と、お見合い結婚

 

転勤族として奈良・東京・香川・大阪と

各地を転々とします。

 

 

その間4人の子供に恵まれ

長女が6年生になる年に

田舎に戻って定住することを決意。

 

 

長らく専業主婦だった私は

田舎に帰ると同時に

給食センターの調理員として

働き始めました。

 

 

お菓子を作ったり、ぱんを焼くのが大好きで

みんなに食べてもらいたくて

毎日のように焼いて職場に持って行きました。

 

 

焼くことが楽しいというより、

「美味しい」と喜んでくれる姿を

見るのが好きだったのです。

 

 

それが高じて、給食センターを3年で退職

自分でぱん屋(店名/ジュイール)を開業しました。

 

今も細々とですが続けています。

 

 

【ノルディックウォーキングとの出合い】

 

ぱん屋を始めて3年目、

ノルディックウォーキングとの

衝撃の出合いがやってきます。

   

  

きっかけは些細なことでした。

 

 

友達の

「ノルディックウォーキングをやってみたい!」

の一言

 

 

この一言が、その後の人生を激変させたのです。

 

 

2010.6.20運命の日!(と言っても過言ではない)

 

 

地元でノルディックウォーキングの講習を

受けました。

 

 

丹波は車社会

かなり近くても車で行く

歩くなんて・・・とんでもない!の生活

歩くことを意識したこともありませんでした。

 

 

なので、まさか私が

歩くことに目覚めるなんてビックリです。   

 

 

ここからは

講習を受けるべく神戸まで出向き

これまでの何十倍も歩くようになりました。

 

そしてインストラクターの資格を取得し、

活動を始めます。

 

 

『インストラクターになったのには、

他にも理由が・・・。』

 

 

私にノルディックウォーキングを教えて下さった

師匠への憧れです。

 

 

「この人みたいになりたい!」

そう思ったんです。

 

 

後に、この思いは

自分を苦しめることになりますが・・・。

 

 

師匠のサポート活動をしながら

地元丹波での普及活動

 

 

今では「丹波でノルディックウォーキングと言えば」

「余田幸美」と言っていただけるほどになりました。

 

 

【ノルディックウォーキング競技会で5連覇!】

 

自分のために歩く

誰より早く、誰よりも美しく歩きたい!

そう思っていた私は、練習のためにたくさん

本当にたくさん歩きました。

 

                                                             

毎年、三重県津市で開催されている

ノルディックウォーキング7kmタイムトライアルと

フォーム審査の両方を競う大会で

なんと総合5連覇することが出来たのです。

 

 

ノルディックウォーキングに出合い、

インストラクターになり、

全国に仲間もたくさん増えました。

 

 

さっちゃん(普段みんなからこう呼ばれています)と

歩きたい

さっちゃんみたいに美しく歩きたい

と、言って下さる方も増えました。

 

 

『でも、心の底から喜べない自分がいたんです。』

 

 

私がノルディックウォーキングを続けている理由が

「人」であること。

「この人みたいになりたい」という

「人」への憧れであること。

 

 

ノルディックウォーキングそのものを

死ぬほど愛しているのか?と問われると

即答はできない・・・

 

 

こんな私がインストラクターをやっていいのだろうか

 

 

このことをきっかけに

深く自分と向き合う時間が始まります。

 

 

自分を責めたり

人を羨んだり

しんどい期間でした。  

  

 

改めて自分の生い立ちを振り返り

祖母や両親に対する

「なぜ?」「どうして?」の疑問も強くなり

 

2人の母に宛て手紙を書き

自分の気持ちをぶつけました。

 

 

 

その時初めて聞いた

お母さんの祖母への感謝の言葉

 

 

「足を治してくれたこと

おばあちゃんには感謝してる」

 

 

この言葉を聞いた時

 

 

私の心の氷が一瞬にして溶けた気がしました。

 

 

ずっと悲劇のヒロインを演じてきた自分は

実は悲劇のヒロインなんかではなく

 

たくさんの愛に包まれていたんです。

 

 

【歩けるって当たり前のことじゃない】

 

自分の足で歩けるって

当たり前だと思っていませんか?

 

誰に習うわけでもなく、

自分の2本の足で立ち、いつのまにか

歩けるようになっていたから。

 

私は、自分の生い立ちを振り返る中で

「歩ける」ということが

「当たり前のことではない」と気づきます。

 

そう!両足股関節脱臼 

ひょっとしたら普通に歩けていなかったかもしれない

 

泣き叫ぶ赤ちゃんに、

体操を施してくれた祖母と叔母

私を手放した両親

 

この4人の愛と力が合わさったからこそ

 

今の私があるのだ!と、

 

今は心から思えます。

  

  

そして、そんな私が不思議なご縁で

「歩くこと」を仕事としていることに

大きな意味があると思えてきました。

 

 

私のノルディックウォーキングは

人への憧れから始まったかもしれない

 

 

でも、今はその憧れを超え

歩くことの大切さを人々に伝えたい。

 

 

きっかけなんて何でもいい!

 

 

自分のやりたいことに出合わせてもらえたこと

ここまで続けさせてもらえたことに

ただ感謝しよう。

 

 

私のように人に憧れ

自分の進む道を見つける人がいたっていいじゃない

 

 

それもあり!

 

 

今は

ノルディックウォーキングを通して

「歩く」ことの大切さを知り

「歩く」ことを楽しめる人を増やすこと。

 

 

そして

健康で穏やかに、たおやかに

力強く充実の人生を送る人を増やすこと。

 

 

ここを目指して活動しています。

 

 

ノルディックウォーキングは

自分の足とポールを合わせて4本足!

 

 

4足歩行は、動物としての本能や生命力

(魅力・才能・自分らしさ・女性性と男性性)を

もしかしたら開花させるツールなのでは?

   

 

最近では、そんなことも考えはじめています。

 

【2022.6.10追記】

理解できたつもりでした。

生母のこと祖母のこと

 

なぜ?の疑問がやっぱり残ってた。

永遠にわからないことなんだと思うけど

 

私なりの理解

 

やっぱり引っかかるのは祖母の行動

なぜ、両親のもとから離さなければならなかったのか

 

おばあちゃんは、

私の足を治すことしか頭になかったんだ!
それしかない!

他のことなんて感がている余裕なんてないくらい

強く強く思ってくれたんだと思います。

 

色んな事が起こり

向きあわざるを得ない時がやってきます。