「 0 ゼロ 」
今日は、午後から激しい雨。いろいろ流し出してくれそうで、雨は嫌いではない。
錆ついている ぬうにも何かが動くような錯覚すら起きそうな・・
でも、それは自分の唱えた錯覚な世界の域を出ない
ぼくたちは、つねに いどのなかの かわず なのだ
それが本質である
今まで感じたことのない世界に触れて感じとることで、リアルを手にしていく自分という形
常に襲われるのは、不安・・
何かと対比してみても、それが本物なのかを知らないのだから
んじゃあ・・その不安から解放される方法は・・ なにかということになる
・・・・・
ただ、真摯に感じること
結局 これしかない
そのはじまりの 一歩を踏み出す その前の 0 ぜロ歩目
その無知さを目の当たりに知覚する経験を得るという
何も知らず、不甲斐なく、めめしく・・・ リアルに沁みる なんとも酷な経験
でも、だからこそ 本当を知ろうとできる
だからそこ 本当の強さがわかる
だからそこ やさいくいようとできる
ヒトであるかどうかは、このゼロ歩目を踏みしめたかどうかにある
感覚は、とても危うい 知らないことを知らないままだと、
あることをないことにも、ないことをあることにもできてしまう
例えば、誰かの当たり前を踏みにじっていても、「それはないもの」って思えたり
本当の幸福も見えないままなのかもしれない。
これは、本当に怖いことなのかもしれないけれど、立ってみれば、歩けない場所ではないから
それよりも、本当を知る 喜びや なにより、幸福は、そこからの積み重ねにほかならない
そこから、はじまった感覚的な経験は、幾重にも折り重なって、どこかに必ず繋がっている。
はじまりは、そのゼロ歩目にある