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熱帯魚、ネコ またに植物に アニメ etc なブログです

   柿を何日かかけて採り終えて、小雨に降られた体が温まったのは、なんだかんだの後の風呂上り。。。きょうは冷えますな

 体冷えるって感じになったのは、ほんと、久しぶりだわな。TERAをすこし、やってみて・・あとはYouTubeのリストを垂れ流し、あんまり呑まないので、こんなほっこりが多い。

 

 気に入ってリストに入れたはずの、平井堅の「瞳を閉じて」はピアノ伴奏だけのシンプルさ・・ んっ ・・・

このピアノの音は、こんなに薄っぺらかったっけか ・・ 余計な音を混ぜたり、勝手に盛り上がったり、落ち着いて聴くとこんなものだったか・・ちっ ・・ 繋がりを知らない音ほどチープなんだよな ・ ・ 。

 

 プレイヤーは、内なる「揺れ」を、その指先から表現する。

 

 絵描きは、その線で・・ 歌い手は、その声で・・  その「揺れ」の形は、色を付けて、誰かの何かを震わせる。

 

 ぼくらは、その楽譜で、過去の絵画で、昔の「揺れ」と繋がることができたりする。

 

 例えば、ホクサイが残した 線たちは、今に残って、当時のココロの「揺れ」を届けている。

彼が描いて描いて描きまくって、できた、ココロの「揺れ」は、その当時の鮮烈さを伝えているように、入ってくる。

 

 と入ってくるようなものを感じる その一端が見えたのは、ここ最近のことだった。

 

 長い時間、何かに触れて、ようやくほんのすこしだけ推し量れるような・・ そんなところに ホクサイの「揺れ」はあったりする。

どんだけのものを描いて、どんだけのものを見ていたのだろうか・・。

 

 弾けることと、表現することは、同じではない。

 

 うまく弾けるから、その「揺れ」が伝わるって訳ではない。

 

 いろんな表現があってもいいが、その「揺れ」を感じとって、表現できるまでには、どれだけの演奏を重ねることが必要か、それぞれの道は、そんなに簡単ではないけれど、だからこそ、喜びもひとしお・・・ かのホクサイは、どんだけの喜びを感じていたのかを想像できたりするには、もっと何かを描いてみたなと・・ そんな何かに掻き立てられたりするもんだ。

 

 ほんとの楽しさっていうものは、そんなところにあるものなのだろうから・・。

 

 さて、ほんとうに楽しんではいるのだろうかね  。。。 おいらたちは^^

 

 ♪ 平井堅 「 even if 」 → https://youtu.be/b6sijPV-ufI

 ブログ書き終えて、ふと感傷に浸るって、なんだろうね ・・・ もう戻れないっていう自分って ・・・