忘れもの | ぬうさんは、のんきがお好き

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熱帯魚、ネコ またに植物に アニメ etc なブログです

冷え込みが すごい こんな日にも雪が初めてのココはいつものルートを見回りにお出かけ 

  こう冷えるとな  人肌が恋しくなるんは やっぱりあるわなぁ

  新しくしたPCは 追加更新から ようやく解放されてきている

 

  なにもないように見えて なんだかんだと こんな日々

 感じないでいるように見えて なんだかんだと動かされてはいる

  いま ここを 動かないでいると思っているのは なぜだろう

 それが自分の中の世界だからだ

  むかし動かされた言葉は なぜ あんなに刺さったのだろう

 強烈に感じ入るのは そこにはあたりまえにも 刺さる なにかがある

 よくもわるくも 自分が求めないではいられないものが そこには 見え隠れして

 おだやかに動きはじめてくれる機会をうかがっている

 あんなに天真爛漫に動いていた日々は ここには見えない

 ではでは 思考をさかのぼらせ 単純で一途 快不快が判断基準な未熟な赤ん坊

 その次には どんな自分がいたのもだろう

 いま ここにいる自分が おだやかにうごきだせるもの 

 置き忘れたものは どの場所の自分にあるのだろう

 ときには いまの自分から あのころの自分まで こころを さかのぼらせてみる

 がんじがらめの その世界を入り口から眺めてみるのがいいのだろう

 自分の中の世界は そんなに せまいものではない

 

 その世界は かぎりなくひろがっているはずなのだ

 

 最近 切に感じるのは となりにいる存在 (妄想) なにげに素でいてくれる そんなのを

となりに感じることができたら それは もう おだやかでいられるにちがいない

そんなのが感じたくて 垂れ流されてる生放送に目をやるんだけれど 

そんなのを知れば知るほど それはそれは さみしくなってしまう

 その世界を入り口から眺めてみれば 人は そんなに 頭脳明晰ではいない

 どんなに情報が入っていても 知りうるものは そんなに多くはないのだ

 感じて動かされてきたものしか知ることができない 知ってはいないのと同じだから

 だから現実な世界で起きていることは それは

      それほど 複雑なものでは動いてはいないのだろう

 でも その動いた先にしか なにかを知ることは 叶わない

 そこにしか 自分は いない

 うごいた その 轍 が 自分なのだ

 それを 特別にできるのが ぬうには 妄想な そんな 存在なのだと思っている

 

 今は歩みを止めている そこの人にも 未来は 自分次第で 広がりを見せてくれる

 自分の特別が そこには あるのだ