「ピートたけしのテレビタックル」少しの間見入ってしまったのでした。
「〇〇画像を授業で見せるのか」んな感じのテーマで、にんまりと教師歴〇〇年のおじさんが語る。
見終えてしばらくして、なんとなくつまらん おやじたちに、すこし呆れてしまった感じだ。
自分たちが手を焼いてやって、子供を育てる感が、とっても満載。
この人達は、どんな風に教育というものと接していたのだろう・・・。
過激な画像を、はからずも、ネットな環境で閲覧することができる環境で、この教育を論じている輩は、その教育としての道を模索しないでいる。
僕たちが住んでいる国は、こんなに低い感性の教師達で、成り立っているのだそうだ。
選ぶのも、見るのも、学ぶのも、子供なのだ・・・
ほんとの意味や歴史を示して、いっしょに考えていくしか道がない
できることといえば、いくつかの道を示してみたりするしかない。
なんだかんだで、おきざりに合ってる子供って、多いんだろうな・・んな気がしている。
いっしょに考えられる存在がいたら、きっと その画像の持つ意味も、すこし変わってくることは、確かなのかもしれない。
ひとりの人が、伝えられることは、ほんとに少ないものだけど、人からしか、感じとれないのも、人という存在なのかもしれないから・・。
教育者が、ひん曲がっている今は、ますます親の役割が重くなっていくかもしれない。
やすっぽいクレームつけて、役割を放棄する前に、もっと、子供を愛してほしいものだ。