いつでも、その点に@じぶん | ぬうさんは、のんきがお好き

ぬうさんは、のんきがお好き

熱帯魚、ネコ またに植物に アニメ etc なブログです

  「自分は存在するべきなのか・・」とっても哲学的でいて、傲慢に手前勝手な、この問いは、ごくごく主観的なものの産物でもある。

 こんな命題について悩んでみるのは、どの道 ぶちあたるものではある。

 それに、その過程で、付けた足跡は、自分を知る とってもいい道しるべになることは間違いない。

 まずは、模索すること・・これにつきるのだ。

 さて、この模索が、道としての足跡となるのは・・そう、あがいても、ほんのちょっと前を向くことができるかってことだろう。

 足元を見ている自分では、その、ほんのちょっとの距離が分からなくなってしまう。

 ここにきてしまうと、やることはない。 


 まずは、感覚をリセット・・ 偏りがちな感性をリセットして、本来にもどしてやること。

 必要なのは、抜け感、余計な力みを取ることに全力を注いでみる。

 
  こんな風に・・・ 今、そこにいる自分は、どれだけ力を抜いたら、やっとその体を支えるだけの力を残して、座っていられるのか・・・立っていられるのか。

 ここでも、模索を繰り返す。 肩を数ミリ落として、すこし力を抜いたところで、まだ、なにも感じなければ、もうすこし・・・模索、模索・・・

 そうすると、ある点に出会うことができる。


 そう、いろんな色が見える瞬間みたいな 点 。


 リセット点って訳です。

 本来感じるものを、そのままで感じられる 点 ってことです。

 まずは、この点を体で感じて、覚えてみること。

 そうすると、そこにすぐにもどることができるようにもなるでしょう。

 

 さて、その命題は、誰が、何のために、今頭の中で、もがいているのか・・
それは、どう未来につながっているのか・・。

 ふと、考えをめぐらせてみるといいんです。

 理由なき命題は、いったん削除、考えなくていい。

「何か考えていないと自分がいなくなる?」

 そんなことは、決してない・・・点にもどって、わかったことは?

 

 感じて、常に動いている のが自分 それを感じとれれば、自分は、確かにいるのがわかるってもんさ。