「自分は存在するべきなのか・・」とっても哲学的でいて、傲慢に手前勝手な、この問いは、ごくごく主観的なものの産物でもある。
こんな命題について悩んでみるのは、どの道 ぶちあたるものではある。
それに、その過程で、付けた足跡は、自分を知る とってもいい道しるべになることは間違いない。
まずは、模索すること・・これにつきるのだ。
さて、この模索が、道としての足跡となるのは・・そう、あがいても、ほんのちょっと前を向くことができるかってことだろう。
足元を見ている自分では、その、ほんのちょっとの距離が分からなくなってしまう。
ここにきてしまうと、やることはない。
まずは、感覚をリセット・・ 偏りがちな感性をリセットして、本来にもどしてやること。
必要なのは、抜け感、余計な力みを取ることに全力を注いでみる。
こんな風に・・・ 今、そこにいる自分は、どれだけ力を抜いたら、やっとその体を支えるだけの力を残して、座っていられるのか・・・立っていられるのか。
ここでも、模索を繰り返す。 肩を数ミリ落として、すこし力を抜いたところで、まだ、なにも感じなければ、もうすこし・・・模索、模索・・・
そうすると、ある点に出会うことができる。
そう、いろんな色が見える瞬間みたいな 点 。
リセット点って訳です。
本来感じるものを、そのままで感じられる 点 ってことです。
まずは、この点を体で感じて、覚えてみること。
そうすると、そこにすぐにもどることができるようにもなるでしょう。
さて、その命題は、誰が、何のために、今頭の中で、もがいているのか・・
それは、どう未来につながっているのか・・。
ふと、考えをめぐらせてみるといいんです。
理由なき命題は、いったん削除、考えなくていい。
「何か考えていないと自分がいなくなる?」
そんなことは、決してない・・・点にもどって、わかったことは?
感じて、常に動いている のが自分 それを感じとれれば、自分は、確かにいるのがわかるってもんさ。