例のすたっぷ くんについて、おぼ かたさんの会見があったらしい。
ちょっぴり注目の話題だから、気にしてしまっていた。
何を気にしていたのかっていうと、研究という分野の感性的なレベルについて
歯切れの悪い会見と検証データ、なみだ、うごかない視線・・・。
産まれてきた と言われている すたっぷくん達は、どんな思いでながめているだろう。
すこし茶番めいて見える。この子の会見は、いろんなもくろみをはらんで、どこに進んでいるんだろう。 はっきりさせないで、この子に詰め腹を切らせて、終わらせたい。
特定国立研究開発法人の指定にともなう、このタイミング
結果は、こうなるだろう・・・今、すたっぷくんの存在を検証しはじめている共著者の一人の博士が、検証の結果、できなかったと報告・・論文撤回。
結果、彼女だけが、責任をとる形で終わる。(こうはなってほしくはないんだけど・・)
がっかり♪
研究は、やっぱり真摯に向き合うことにより、その成果が尊いものになる。理研という施設は、そのことにおいて、研究所と呼べる場所ではないってことだね。
研究というもの自体をゆがめて、しらなければいけないものや目を向けないといけないものと真摯に向き合う感覚がないなんて・・。
底が知れている分野になりさがっているんだね。
きっと、どんな分野も、底落ちになっていってるにちがいない。そんな風にも感じる。
彼女だけが、未熟なのではなく。もっともっと未熟なおじさんが、何人もいるんだと思ったなぁ・・。
すたっぷくん、せっかく産まれたんなら、思いを載せて、羽ばたいてくれるといいな♪
いったいどこまで、おっさんたちは、この国のこれまでの文化的に息吹を、その流れを、貶めてけば気が済むんだろう。研究者の存在する意味って、なんなんだろうか・・。