現世、すなわち、この世の内に悟りの世界を見ようと、昔の僧侶と言われる人達は、宗派を超えてまで、いろんなやり取りを行ったりしていたらしい。
禅問答なんて、呼ばれるものがそうらしいが・・。
普段は、高僧から命題を与えられ、その命題と向き合い。出た答えを報告していく。高僧は、「まだまだだのぉ~」なんて一言で、帰したりするような。そんなやり取りの中、どんなものを追い求めていったのだろうか?
また、例え同じ命題だとしても、その解釈は、その寺や、高僧個人個人で、違っているらしく。その悟りの道のりも、それは、さまざまだったそうだ。
例えば、こんな命題「犬には、悟りをひらくことができるのか?」良く分からないものと向き合い答えを出していく。
これって、ずっと変わらない人としてのあり方かもしれないと思うんだな・・。
いくつもの解釈の中、それを考え感じていくことが、人としての歩む道なのだと、脈々と昔から、変わらず、僕達は、こうして歩き続けているのだ。
わからなくて、あたりまえだ。
だから、人なんだ。