なんとなく寝れなくなっている ぬうなのでした。
相当、はしょって自分のルーツをたどってみる一つの、やり方を書いてみたのだけれど、なんだかんだ、やってみないと題名をつけるまでは、できない気がする。
んなものなんだ と 思う・・のは、自分という形が、ある程度見えるくらいになった時、それでも、曖昧な存在には違いない。
産まれてくるまでに、いろんな感覚はできあがりつつあるけれど、まだまだ未成熟で発達の途中で産まれてきた私たちって存在は、ずっと、この曖昧な決まり切ったもののない自分って世界を形にしていかないといけない。
対話し、触れ、感じる、考え、また、対話し、触れ感じる。 いくつかの未知なものに触れていく内に、ひとつ、また、ひとつ と感覚を研ぎ澄ませていく。
経験と感覚をすり合わすってところかな・・。
自分のルーツを知るというのは、ひとときの過ちや思い込みに支配されていないのか、なにが哀しいのか、何がうれしいのか知る旅でもあったはず・・。
次に、自分を知る楽しみは、あやふやだからそこ、無限に存在するんじゃないかと思う。、すごくゆっくりで、丁寧にしか進めない道ではあるけれど、その歩みが幸せだと思える生き方があると思うんだ。