イカの国、今年新設ユニットケアの施設がオープンの鶴の園では、今日も驚くべき事が起ります。
そこでは、そこそこベテランの村の田さん、ばぁちゃんに話しかけます。
「今度、これ縫いましょうねぇ」他の職員が持ってきた毛糸のスポンジを縫ってもらおうとしてといるらしい。
「それって選ぶたのしみを奪っていることにならない?」と別の職員から・・・。
反撃の村の田さんは言います。
「しましょうか? は 押しつけてる言葉じゃない」とすこしキレ気味^^
果たして、どうなんでしょう・・・??
( 日本の介護が、低レベル化している現状です・・・)
解説しておきます。
ユニットケアというのは、およそ10人を一つのユニットととして、より、お一人お一人の自分らしい生活を実現しようと10年ほど前から、日本で推奨されはじめたもので、まだまだ、内容は不確かなものです。対応できないでしょう、よほど、いろいろ組み込んでいかないと。
では、解説します。
別の職員は、知っていたんです。ご本人が毛糸を持っているのを・・・、村の田さんは、別の職員の話を聞こうとはしません。
少なからず、自分の生きがいを捨てさせられて入所を迫られているケースが、ここ鶴の園では、よく見られます。その悲しみは、例え認知症の症状が見られる方でも、余りあります。
ここ日本では、基本的人権が守られなければならない。
自分らしく生きたい権利を、守るための介護でなくてはならない。
「~しましょうね」という一見するとやさしい声かけは、決して、相手の意思を問いかけるものには、なりません。ともすれば、遠慮や気遣いを招いて、「ハイ」と答えさせてしまうことにもなりかねない。
プロなら、「~はどうしましょうかぁ?」と声をかけるべきなんですよ。
その言葉の選択は、相手を児童扱いしていることにもなるようにも見えますね。
どうして、村の田さんのような人が介護の現場で残れるのか、それには、おそらくいろんな人の見て見ぬふりが、関わっています。
統括する立場の管理者の本当の専門性の欠如 とそれを許してきた経営者の責任。
そして、それぞれの職員の意識の無さや無知がゆるされる世界であってはならないですよね。
鶴の園のような施設では、人は育ちません。ただただ、お年よりさん達が、今日一日一日を、希望を削がれ、生きがいを忘れさせられながら過ごしている。その現状を感じられない人であって人ではない人達がいることは信じられない事です。
真剣にやっている人が、残っていけない場所ばかりになってきているのかもしれませんね
介護の世界って・・・私が、その職に就いていた頃は、こんな人はいなかったもんです。
どんな介護でも、人である以上、陥り易いところではありますが、ここまでは・・・。
私達の将来は、こんな介護に任せてはいけないので、真剣に施設選びは、しましょう。
見るポイントは、入所されているお年寄りの表情に笑顔が感じられるのかってことだと思いますよ。
すばらしきなか、ニッポンの介護^^