加配保育士の仕事 | 凸凹親子の甘い生活

凸凹親子の甘い生活

中学1年の息子(ASD,ADD,LD)のこと、
保育士の母(自称ADHD)が日々感じたことあれこれ。

私は、もともと子供が好きなわけではない。

 

自分の子供が発達障害だったから

発達障害のことたくさん勉強したんだけど

 

発達障害の

”みんなと同じことが同じようにできないこと”

などの何がいけないのかさっぱりわからなくて

 

これは、いわゆる「普通の子」

のことを勉強しよう!

と、思って保育の専門学校に行ったの。

 

なるほど、

”本人が困っている”

ということがわかった。

 

あと、自分の子どもに対する接し方が

まんざらでもないということがわかったから

資格もとったし、保育士になった。

 

自閉症の子どもたちと関わるのは面白い。

他人や物に対して全く興味関心のなかった子どもの

興味を引き出せる玩具、遊びをみつけて

子どもとつながることで

その子の世界が広がっていく

できることも増えて行く。

とても、やりがいがある。

 

昨年度、私との相性がとても良かった子がいた。

保護者の方は障害を受容することが難しく

とても悩まれていた。

そんな中で

子どもさんをとても大切に育てられていた。

 

関わり方や視覚支援がヒットして

お子さんも落ち着いたし

できることもどんどん増えていった。

お母さんの顔もどんどん明るくなっていき

医療にもつながった。

 

私の移動が決まった時

「(息子)は、先生じゃなかったら

保育園に来ることはできませんでした。」

と、泣きながら伝えてくれた。

 

保育士冥利につきますね。

移動があるのは、私も辛い。

同じ保育園にいたとしても、

だいたい担当は1年で変わる。

 

たった1年の関わりの中で

私が、子どもの中に残せるのはなんだろう。

 

この保育園という集団の中で

できることが増えたほうが、

生活しやすくなるだろう

と、考えて

子どものできることが増えるように支援を考えているが

果たして、それでいいのかな?

 

たった1年しか関われないのだから

私がみているときに

周りからみてみえるような伸びがなくても

子どもにこの世界は美しく安心できるところだと知らせ

伸びしろを強くできるような関わりを持ちたい。

その時が来たら、ぐっと伸びるように。

へこたれない伸びしろ。

曖昧な理想でしかないかな。

 

イメージとしては、大人が伸ばすんじゃなくて

子どもが伸びる瞬間がきたらグーンって伸びる

大人はその時が来るまでの栄養を与える。

土台を作る。

 

具体的に何をってわからないけど

「できることを増やすこと」

で、いいのか、とても悩んでいる。

 

目の前の子がじっとできないのは

私もふくめて大人が無理をさせているのではないか

 

いま、できても

もし無理をさせていて

その先に、伸びる力が残せてなかったら

意味がないのではないか?

 

こたえは、でません。

 

にほんブログ村 子育てブログ 発達障がい児育児へ
にほんブログ村